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ワイン体験の豊かさ。

今年に入ってからとにかく沢山ワインを家で飲んでいます。そして毎日自炊してます。

ワインに最もクリエイティブを感じる今。
きっかけや感じた事を少し残しておきます。

コロナ禍、応援のつもりで毎日色んな知人のお店行ってましたが、人が少し戻ってみると、なんだかんだ助成金も貰えてたし、余裕だったそうな素振り。そんな矢先にふとワインって今までしっかり向き合っていなかったな、と。あと、自炊を全く忘れてしまいました。
自炊を取り戻す&皆なんでワインに魅せられてるんだろうと思い立って、今まで飲んだワインの記録を頼りに色んな酒屋さん、ワイナリんに足を運んでみています。
今年はほとんど外食しなさそうな気持ちだったのでちょうど良いです。(ワインの勉強の為に目的持って通うところは通ってます)手はいつもオリーブオイルとガーリックの残り香が。

昨今の健康やオーガニック流行の中、自然派、という言葉の氾濫してます。ナチュールワインとかフランス語と英語が混じっていたり笑えます、という声もありました。ナチュラルが不自然に使われています。笑

「そういえばあのワイン美味しかったな」を頼りに色々行っています。
今はイタリアフリウリ、エミリアロマーニャ辺り、スロベニア、ジョージア、フランスはジュラ、アルザス、日本は山梨辺りをよく飲んでいて、ワインに疎い小生にも少なからず衝撃たったのでエチケット頼りに探し回っています。
しかしやはり人気のワインはないですね。

他の地方は、生産者は、この品種は、などなど人と合う合わない、好き嫌い、国民性なども感じられます。
音楽や踊りの体験で感じていたことが全く同じく体験できました。

ワインも料理もカクテルもクリエイティブです。
生産者、作り手、販売店、提供者、とそれぞれの共感でまるで根のように繋がっていて。年によってか、葡萄なのか、作り手か、保存か、その年月か、提供の仕方なのか。
はたまた飲み方なのか。飲み手の趣向の問題なのか。
今此処しか楽しめないもの、「一回しか聴けないアナログレコード」という言葉はとても印象的でした。※とりあえず一回しか聴けないレア盤と聴くと、なんとレコードとは安いものなんだ、とか狂ってきます。

音楽同様、誰と体験するか、はとても印象的です。その時誰と食卓を囲んだ、時間を過ごした、全く別の場所で飲んでいた誰か、などの繋がりも時を経て見えてきたりとか。
記憶としてここまで印象残るのがワインです。

またスタイルやコンセプトやインスピレーションを受けた様々なものをストレートにそのまま表したりする音楽やダンスでの体験と比べるととても奥ゆかしさがあります。

その土地のテロワールをより著している、葡萄の力、酵母のエネルギーを感じる。しかしより複雑なような真っ直ぐなような。
料理や素材でいうと混ぜて跡形もなくしていく、"隠し味"という表現は、食の世界にはとても感じます。

例えば映えたエチケットやオレンジワインの醸し色は作れても味、その複雑味は、絶対に真似できなかったり。

上っ面だけのイミテートは、芸術でも多くあります。※ここにリスペクトあるかないか論もあるけど

忠実な再現や作り手の工数、ここに思いもありますが、心のエネルギー、時間とコストもかかります。熱中して取り組んでいることか、損益を考えるビジネスなのか、の葛藤も。

ここは、先日フランクザッパのドキュメントを見て、思いました。※ザッパについてまた書きたい気が向いたら。
好きなものを追求する為には、損益を考えた時点でビジネスであり音楽ではない、と。
つまり自分が飲みたい、近しい存在の人に振る舞いたいワインこそワインなのかなあと。


産業革命、近代化前のワインは全てナチュラルワイン。と知人が言っていました。

ベースの材料は、葡萄は、どれだけの酵母が、マセレーションした年月は、寝かした年月。
長年の眠りからコルクを抜かれて外界と接触し、酸素に触れたワインの印象、注がれるべき器、変わりゆく香り、ファーストタッチ、アフター。
何と合わせれば、楽しむ側をさらに深めてくれるのか。
こんな奥行きある趣です。

好きな人であれば凄く素直に感じられます。
体が喜ぶ、という表現が近いです。
ダイレクトに健康なワイン、二日酔いしない、みたいなキーワードで好きになる方も多くそれで何よりですが、深めれば深まるほど心地よい沼です。

モダニズム、コンセプチュアルアートなど芸術では、目で味合うのは難しい。
キャプションや概要説明あってこそ体に染みてきたりする。
少し難しいと感じる方が多いんですが、そこが面白いんだけど。
やはり分かりやすさを求めるところアートはベンヤミンの、名前出すこともなくビジネスでありアートではないですね。

ワインバーで選ばれるワイン。食事とのペアリング不必要です。全ての味深みが、その液体単体の中に美味み全て成り立っています。
ペアリングのワイン、バーのワインここの差がすごく面白い発見でした。

また家やお店だけでなく、葡萄が作られた外で飲む事、誰かと一緒に楽しむ、など
味わい、噛み締めるだけでなく、さらっと楽しむような感覚のワインもまた楽しいです。

昔、知人の画家に「言葉には植物に喩えられるような慣用表現がある。私はそれに絵にしたい。」と教えて貰ったことがあります。

花言葉と近いのですが、芽が出る、花が咲く、枯れる、棘がある、など人にも用いられます。
秘すれば花、と観阿弥世阿弥が人間の老いや醸し、または時間を表現するに近いです。

植物と人との繋がり、そして状態を説明する表現のようにワインはそれをが経ってくれるかのよう。

下記のリンクは、ワイン体験が身体表現に喩えられる、という見解で様々なワインを視覚的に図式します。※すごく難しいけど面白いです!


是非皆さんも作り手の顔が見える、そんなワインに出会って下さい。

言葉を直接届ける機会をいつか何処かで作れたら!