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謎解き『舞姫』②(森鷗外) ――豊太郎はなぜ手記を書き残したのか――

3 『舞姫』に対する疑問
(1) 豊太郎はなぜ手記を書き残したのか
 豊太郎がエリスを捨てたのなら、彼が手記を書き残した理由は何なのでしょう。
 いろいろな解釈があります。
 例えば「気持ちの整理をつけるため」というもの。
 しかし、ブリンヂイシイの港を出てから何度も苦しみに見舞われているのですから、セイゴンで突然気持ちの整理がつくはずがありません。
 もちろん「自分の気持ちを書く」という行為そのものに「気持ちを整理する」効果はありますから、こういう考え方もあながち否定できません。
 しかしそれでも、「豊太郎は自分の気持ちが整理されればそれでよかったのか」という問題は残ります。
 『舞姫』には、「豊太郎は自分さえよかったなら、エリスやエリスのお腹の子のことはどうでもよいと考えたのか」、「豊太郎は真面目で誠実な男に見えるが、実は卑怯で薄情な男ではなかったのか」という避けられない問題があります。
 「自己表現のため」「内省のため」に手記を書いたというような解釈は、これらの問題に答えられません。

 次に、「エリスに対する贖罪の気持ちを表したもの」という解釈。
 エリスやその子を救うことはできなかったが、お詫びの気持ちだけは表した、ということでしょう。
 何も語らないよりはマシなのかもしれませんが、そんなに悪いと思っていたなら、「微かなる生計を営むに足るほどの資本を与へ」ただけでなく、これからもずっとエリスの生活費、子供の養育費ぐらいは定期的に送金するでしょう。
 エリスの家は極貧、しかも懐妊したエリスは狂気に陥っています。
 このままドイツに放置されたなら、どういう結末が待っているか、子供にだってわかります。
 しかし、それについては書かれていません。
 真に贖罪の気持ちがあったのなら、「私は日本に戻るが、エリスの一生の生活費、及び子供が成人するまでの養育費は私が責任を持つ」ぐらいのことをはっきり述べてもよかったのではありませんか?
 ところが、手記の最後に書かれているのは、相沢謙吉を「憎む心」です。
 エリスに対する贖罪の気持ちが本物であるのなら、これはあり得ません。

 逆に、「自分が真摯であったことをアピールするために手記を書いた」という説もあります。
 これはいかにもありそうです。
 あっぱれ豪傑と自負し、またそのように嘱望された豊太郎が、「文盲癡騃にして識見なし志操なし(石橋忍月の言葉)」のエリスに現を抜かしてしまった。
 何とも格好がつきません。
 現在でもエリートと目される人がとんでもない失態を犯し、聞くに堪えないような言い訳、自己正当化を図ることがあります。
 豊太郎もその一人なのでしょうか。
 まぁ、それも否定できない人間の「真実の姿」です。
 ただ、人間の弱さや醜さも描くのが文学ですが、豊太郎のアピールを聞いて、感動したり共感したり、意味ある人間認識の深化を感じたりするものでしょうか。

 他にも文学的手法の一つとして手記という形式がとられたということも考えられます。
 作者は手記という形式をとることによって、豊太郎の内面や思考を読者に直接伝えようとしたということでしょう。
 ただ、そうだとしたら小説の一便法としての手記ということであり、豊太郎に独立した一個の人格が与えられていないことになります。
 作者の観念が作り上げた「豊太郎人形」の思考や言動について真剣に考察しても、あまり意味がなさそうです。

 以上、いくつかの解釈に対して私が感じた違和感を述べました。
 ただ、小説の読解は何にリアルを感じるかによって左右されます。
 もし卑怯な男、無責任な男、利己的な男の姿に豊太郎のリアルを感じるのなら、上記の解釈も有効でしょう。
 私はそれらの解釈を否定するつもりはありませんが、そこにリアルは感じないし、感動もしません。

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