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セルフ・コンパッション

今日は今朝から調子が悪かった。
激しく気分が落ち込んでいた。
とにかく気分転換がしたくて、出かける用意をする。
お気に入りの夏服を引っ張り出した。今日は天気が良かった。
普段はひかないアイラインもガッツリ引いてみる。
ここ一番で自信をもって可愛い私だ。
「アイドルにも負けない可愛さだね?」なんて、鏡の前の自分に言ってやる。

携帯電話のカメラロール
もうFavoriteの欄には保存されていない、
今月のシフト表を開く。
お気に入りのアルバイトの男の子の名前があることを確認すると
気分が上がった。
私を見て彼が目を輝かせる姿を想像する。
会いたいな。会いに行こうか。
正直いってお店には近づきたくなかった。
やっとのことでお休みをゲットしたのに、
その時間で仕事の嫌な記憶を思い出させるなんて。

でも、その子に会いたい。
そうでもしないとどこからも気力が湧いてこない気がした。

“今日の私は可愛いぞ”という自負が神戸の街を歩く足取りを軽くさせる。
それでもお店の前に来ると
少し足が竦んだ。
扉が開いた。
嫌悪感を感じながらも、仕方なさ半分で隙間から店の中を覗き込む。
探している人はいなかった。
なんとなく予測できていた気がする。
休憩時間にかぶっていたのだ。

店内が空いていたこともあり、自動的にパンを載せるトレイに手が吸い寄せられる。
他の仲間たちとは顔を合わせたけど、それだけでは満足できなかった。
あからさまに気分が落ち込む自分に気づいて
なんだか少しむなしくなった。

いつものルーティンに戻った。
景色の綺麗なスターバックスに向かい、ぼーっと2階にあがる。
心の中も頭の中も、混沌で目が回りそうだ。

今日中に終わらせたい作業は山ほどあるのに、
手は動かなかった。
何もしたくない自分に泣きそうになる。
にっちもさっちもいかない。
こんなに何にも手を付けられないのなら、
いっそのことお店を出て散歩に出た方がよっぽどいい。

頼んだソイラテを一気に胃に流し込む。
勉強道具でいっぱいのリュックのチャックにすら触れないまま、店を降りた。

お店を出るときに、扉の開け方がわからなかった中国人客が目の前にいた。
無言で扉を開けてあげる。
どうしようもなく遣る瀬無いこの感情を抱えてどこへ行けばいいのだろうか。
店を降りた先に佇むベンチに座った。

そのスターバックスは、神戸の港の、海の見える公園にある。
暖かい陽射しと優しくほほをなでる海風が心地いい。
少しずつ内向きに固まっていた肩がほぐれて
ほっ。と息がでた。
目を閉じて、呼吸することに意識を向ける。

逃げるようにして家を出た、朝の光景が目の裏に思い浮かぶ。
あの家の中を取り巻く負のエネルギーの渦に飲み込まれないように。
起きたばかりの母親の口から出てくる言葉はどれもネガティブで、
明るくハッピーな気持ちになれる言葉は存在しなかった。
身体の不調について嘆く言葉には、私も大人として優しく対応しなければいけなかったのだろうか。
同居人に対して自分勝手に相手をなじる言葉を放つ行為にも
どうしても理解ができなかった。
高齢の親と同居する若者たちがみんな同じ悩みを抱えているのであれば、
この世の中はこんなに平和ではないはずだ。
自分の中のいい子ちゃんが、母に対してどうしても優しくできない自分を責めていた。

涙が溢れた。
瞑っていた目を開く。

「ああ、つらかったのね。」
ー朝起きて、一日がはじまる。
今日の私は何にでもなれる。そのしあわせで希望に満ち溢れた純白な時間を、
けがされたー
「悲しかったのね。」
ー生きている幸せを、愛する母と分かち合いたいのにー
「傷ついたのね。」
ーひとを傷つける言葉を発する母を救ってあげられないことにー
「いいのよ。わたしを抱きしめてあげて。」


母を許せない自分を、許してもいいんだよ。


今日は天気がいいから、お花見にはちょうどいい。
何人かのグループが、芝生の上でくつろいでいる。

ちょうどいいベンチが見つからなかったのか、
キョロキョロとしながら目の前でブルーシートを広げはじめた親子がいた。「よかったら、どうぞ。」

下書きを保存して、パソコンを片手にベンチを立った。

そのうちに、彼に会えなかったことはどうでもよくなっていた。


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