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愛しさと切なさと心強さと。

 
ここのところ、少しばかり寂しさが駆け抜ける瞬間がある。

秋だからか、急に寒さが訪れたからか、
センチメンタルになっているのか。
 
 

というのも、現在2歳9ヶ月を迎えた次男がとてつもないスピードで成長しているのを日々感じている。その度嬉しさはもちろん、同時に寂しさも覚えるのだ。

平均よりは成長がゆっくりな次男だが、拙い言葉でひとつひとつ単語を覚えて、それをずっと繰り返し言っては嬉しそうにしている。自信に満ち溢れている顔をしている。
最近は、初めて聞く単語でも言葉を真似して言ってみたりするようにもなってきた。

 
それと同じくして、意思表示も強く出てくるようになった。元々のイヤイヤはあるが、それとはまた別で「自分はこうしたい」という思いを表現するようになってきた。

例えば、夕飯で長男が青色のパッケージのおかかふりかけ(ポケモン)を選んだときに、
「〇〇くん(名前)きいろ!」
と自分はこれが良いと言ってきたのだ。

その時黄色(たまご)は無くて、残りはみどり(野菜)だけだった。そこで私が
「黄色は無いから、緑ならあるよ」と提案したところ
「〇〇くん、みどりいろ!」とそれにのってきたのだった。
 
 
今までならその表現が出来ずに、ただワーワー騒いでいたり泣いたりイヤイヤしたり…だったのが、自分の頭で思ったことを言葉で伝えて、尚且つこちらが提案した選択肢からひとつを選び納得するまでに至ったのだ。

 
その時、夫がこう言った。
「〇〇が人間になってきている」

 
もうまさにその通りだった。

これまで本能のままに動いたり(それは今もあるけれど)言葉も儘ならず、言葉がゆっくりな分 表現もそれほどしてこなかった次男が、こんなに成長したなんて。感動すらした。
 
 

思い返せば、長男のこの頃も同じように感じた。

勿論成長は嬉しいしこれからの成長も見守って行きたいなと感じている。しかしもう、ただただ小さくて周りをキョロキョロしてフニャフニャしていたあの頃には二度と戻らないんだなぁと感じた瞬間に、とてつもない寂しさが駆け抜ける。

今回次男の成長でそう感じた時に長男が幼い日のことも思いだし、そしてまた長男の成長を思い寂しくなった。そうして、嬉しさと寂しさが交互に押し寄せる(×2)

でも寂しいだけじゃない。
あの頃を思い出し、そして現在の子どもたちを見て、ただただ愛おしいのだ。変わった部分もあれば赤ちゃんの頃から変わらない部分だってある。
そんな二人が一緒に遊んで笑い合ってるのを見るだけでも愛おしさが爆発する。
 
 
親というものはきっと、こういう沢山の感情にまみれながら強くもなっていくのだと思った。
私はまだまだ弱っちいけれど、これからもっともっと強くなる予定だ。(今から思春期とか反抗期にビビってるけれど)

 
 
 
いつの日か、子どもたちが大人になって何かしらの節目を迎えたときに伝えたい。

「お母さんは、貴方たちがこんなに成長して嬉しい」と。



 
 

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