「ありがとう」の違和感が教えてくれたこと
ありがとうを言う時、
何かをしてもらった時。
助けてもらった時。
プレゼントをもらった時。
子どもにも「何かをしてもらった時にありがとうって言うんだよ」と教えているし、「ありがとうって言おうか」などと促して、言わせるよう習慣付けたりもしている。
その結果、長男も何かしてもらったら御礼を言うし、次男も促すとペコッと頭をさげるように。
長男は、家ではご機嫌で言ってくれるが、外では恥ずかしいのかつい最近までは促してやっと言える程度だった。
そんな長男はこの春夏あたりから、何かしてもらった時にこちらが働きかけなくても「ありがとっ」となんとなく格好をつけて言うようになった。私たち親に対しても弟に対しても。幼稚園での様子はなかなかわからないが、きっと同じような感じなのかなと想像する。
こちらが促すことなく自発的に「ありがとうを言おう」と思い、言葉にできるようになったことに成長を感じて心がじーんとなる。
成長はとても嬉しい。
しかしその御礼の言葉の対象範囲が広すぎてたまに驚く。
たとえば
「お茶どうぞ」→「ありがとっ」
…なんてこと無い、普通にしてもらった事への御礼だ。
「その服格好いいね!」→「ありがとっ」
褒められて得意気なありがとっ。
「着替え置いとくね」→「ありがとっ」
小さなありがとっも忘れない。
「トーマスみる?」→「うん、ありがとっ」
ん?返答として間違えてはないけど…
「おかし食べよ~」→「ありがとっ」
ん?まだおかしもお皿も用意してないぞ?
「お天気いいねー」→「うん、ありがとっ」
え?私が天気操ってた?神様だと思ってる?
「ありがとう」→「どういたしまして、ありがとっ」
うん?なんの御礼?ありがとうへの御礼?
…と私の脳内がついていけなくなりそうになる時もあるのだが、基本的にはちゃんとありがとうが言えていてとても偉い。
うん、偉いのだ。
ちょっとだけ言うタイミングを間違える時もあるのだけれども、それでもいい。
大人になると、その「ありがとう」が素直に言えなくなる時もある。その時の相手との距離感だったり関係性だったりで、うまく伝えられなかったりする。
けれど長男にはそんなの関係なくて、叱られて泣いた後でも、ありがとうをきちんと伝えてくれる。
中には空気を繊細に読む子もいるとは思うし、私はどちらかというとそのタイプの子どもで、素直に伝えられなかった。だから現在こうして、我が子に素直になることや伝えることの大切さを学んでいる。
我が子の素直な姿をみて、私も夫に素直になったり伝えたいことを伝える事が出来ている。
子は親の鑑などと云うが、逆も然り。
親も子に心を突き動かされ、変わることも多くあるのだ。
「ありがとう」
誰でもない、我が子が言ったからこそ響いたのだ。
使うタイミングに違和感を抱いたからこそ気づけたのだ。
素直になることの大切さ。
伝えることの大切さ。
在り来たりな薄っぺらい内容かもしれないが、私にとっては我が家の様々なストーリーの産物なのだ。
私が子どもたちに願うのは、ありがとうとごめんなさいをしっかり伝えられる人であれということ。
その2つが言える素直さはずっと忘れないでいてほしい。素直になれず迷う時期もあると思うけれど、根っこから無くなさいでいてほしい。
(写真は、幼稚園で作って持ち帰ってきた七夕飾り。織姫様と彦星様)
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