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いかにサボるかを考えるくらいがちょうどいい

私は昔から大人数で何かをするときに”手持無沙汰になること”がとても嫌いだった。
例えば周りの人が何か重いものを運ぼうとしているときに、自分だけが何も持っていないと、とてつもなく不安になる。
たとえ既に十分に人数が足りていても、だ。

昔アルバイトをしていたころもそうだった。
レストランでホールに立っているときも皿を拭いたり、水を注いだりしている方が安心できた。
何もしていないとサボっていると思われるのでないか、コイツ無能だな、と思わるのが怖かったのだと思う。

このような性分はマネジャーにとっては命取りになる。
何か”作業”をしている、テーマを見つけて没頭しているときというのは集中できるし、それはとても心地がいい。
しかし現場の指揮を任されるようになると、プレイングマネージャーのような役割を期待されることになるが、自分の作業に没頭してしまうと周りのメンバーに気が回らなくなる。
結果、チームの成果が上がらず、全体の生み出す価値は最大化されない。

困ったことだ。

自分自身は”作業”が大好きで何かに常に集中していたいのに、そのようにしてしまうと逆に成果が出ないのだ。

自分がやった方が早い、という病気に悩まされる人は本当に多い。
この病気は新入社員から抜け出た若手社員が特に苛まれやすい。
自分のできる領域が広がり、誰にしかできないと自負できる仕事が増えてくるが、誰かに頼むのも忍びない、と思いやすいからだ。
しかし無限に増大する仕事の波から逃れるためには、

”自分にしかできないこと”と”自分以外に任せられること”を徹底的に仕分けして、”自分以外に任せられること”を絶対に自分でやらない

という決意が求められる。それと同時に、

”自分にしかできない仕事”を”誰にでもできる仕事”に分解していくこと

も有効だ。
複雑な仕事を文章にして、読めばできる という状態にする。手順書を作る。
こういったことができる人は頭一つ抜きんでていると感じられる。

話は変わるがマラソンや自転車などの持久系スポーツをやっていると、休むことが非常に怖くなる。
自分が休んでいる間に周りはもっと激しいトレーニングをやって強くなっているのではないか。
才能のない自分は才能あふれる周りの人間よりも辛いトレーニングに耐えなければ勝てるようにならないのではないか。
休みを取ることを病的に恐れて、休むことに罪悪感さえ感じるようになる。
そしてレーニングに激しく打ちこみ、故障して辞めていく。
そのような人を何人も見てきた。

まじめな人ほどトレーニングすればするほど強くなると思っている。
これはある範囲までは真実なのだが、ある一線を越えるとそうではない。
重要なことは、適度な刺激(負荷)を与えたあとに十分な休息をとることだ。
人間はトレーニングをしている最中はどんどん弱くなる。
そのあと休息しているときに強くなるのだ。
強くなるためには休息は必須だが、負荷と休息のバランスを最適に保つことはとても難しい。

私はトレーニングと仕事は通ずるものがあると思っている。
やりすぎはよくないし、休みすぎもよくない。

いかに工夫してサボるか=効率化を進めるかを追求し、真に価値を生み出すことに時間を使う。
このような考え方に自分を置くことが一目置かれる仕事人への第一歩だと思う。
仕事は楽しくクリエイティブに。



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