神々の島バリ 村のお寺で祈りを捧げる
今日は、2022年12月14日
2年と10ヶ月ぶりにやっと入国し
2週間が過ぎた夜である。
久々に村のお寺で祈りの時を持った。
村のお寺での儀式は
神秘的というよりは、幻想的な雰囲気が漂い
生々しい神々の世界と
生々しい人間の出会いの場という印象が強い。
バリ島はバリヒンズー教というバリ島独自の
アニミズムとヒンズー教が融合された独自の宗教が
信仰されている。
私には、バリ島で家族付き合いをしているバリ人がいて、その人たちに連れられ
こういったお寺の行事に
気軽に村人たちと参加ができ
村の寺院で神々に祈りを捧げさせてもらえるのだ。
今宵もイヴ(Mrs)・マデに連れられるまま
知っている顔を見つける。
バリ人は、記憶力が良い。
人の顔を良く覚えている。
目が合うと眉毛をピョコっと上げ
大きな瞳をギョロリとさせ眼差しで
挨拶してくれる。
おかげで私も眉毛の上げ下げが上手になった。
最後の滞在中に会ったとき
まだ小さかった子どもたちが、背丈が伸び
成長し、私を見て恥ずかしそうにする。
子どもたちの成長を見て
この村との関わりの歳月を感じた。
こうやって村のお寺の行事に参加できることに
感謝の気持ちが湧いてくる。
普通の観光客では
この場に入ることはできないと今更ながらに思う。
実は今日が何のセレモニーなのか
私は分かっていない。
村のお寺で何ヶ月かごとにあるセレモニーだと
イヴ・マデは、私に言った。
良く分からなかった。
私は
観光客ではないから、あまり、説明も無しに
家族と出かけると、
そこにバリ島の暮らしと体験が待っている。
というような
まるで、子どものように
暮らしの中で徐々に体験を重ね
バリ島の様々が分かっていくという運びなのだ。
未だ、分かっていない体験もある。
子どもが物を覚えていくのと
似た手順とプロセスを通り
体感することにより
バリ島での暮らしを学んでいく。
それは、中々に大人の私にとって忍耐が必要でありそして、また新鮮な体験でもある。
線香の煙に花びらをかざして
再び合掌をし、人々は祈りを捧げる。
祈りを終えると花は、耳や髪に飾られる。
男性も女性も祈り終わった花を身につける。
この礼拝が3回繰り返されると
僧侶が来て、聖水を施し、与える。
私たちは、手を水をすくうようにして
僧侶から聖水を頂いて飲む。
3回、それを繰り返し、最後は、手のひらで受けた水を自らに浴びせる。
そうして、
最後に僧侶から聖水で湿った生の米粒を頂くと
額と喉の付け根に位置する胸に、お米をつけて
余った米粒を食べる。
これが、礼拝の儀式である。
こんな風に祈りや儀式に参加させてもらえること
間近で部外者である私が
この村の人々と神々との交流を見せてもえることに感謝している。
私は滞在者で外国人だからこそ
良いとこ取りができる立場なのだ。
バリ人家族に守られているから
それができていることを、忘れてはならない。
これが外国人として
村の一員となり、村に所属する一個人としてという立場になれば
バリ島社会は厳しくある。
宗教的な文化・風習の違い 村社会の掟
例えば、
月に何度かあるお寺の行事には
村の人間であるならば必ず参加しなければならない。
お供えものの準備 お金もかかる
役割もある。
この寺を中心とした行事は
バリ人の人たちにとって欠かせない重要な宗教活動であり、村社会での活動の場でもある。
そこで行われる行事や儀式は
集合意識の浄化と癒やしの場でもある。
どこの世界でも本当はそうなのだが
様々な見えない領域からの影響は
実際にはあり
そこから
村に住まう人々を守る役割も果たすのが
セレモニー(儀式)のひとつの役割でもある。
病気や災いから身を守るには聖水を浴びて
飲むことが予防になるとバリの人は言う。
バリ島 村のお寺で祈りを捧げた夜
真暗な家路を村人の女性たちと歩いて帰る。
闇の中に揺れる蝋燭の光のように
しなやかに揺れながら歩く彼女たちの肢体
自分の内面が
ただ
この儀式と祈りを捧げる行為を
欲していたのだ。
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