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誰のためのテレビ ー放送されない『プロフェッショナル SMAPスペシャル』

2020年5月15日、その3日前にしたツイートが突然「バズ」った。

この日、その数日前からSNS上の「#検察庁法改正案に抗議します」タグなどで注目されていた「検察庁法改正案」が、審議されている衆議院内閣委員会で今日にも「強行採決」されるのではないか、と言われていた。
ところが、NHKでの国会中継は行われなかった。
だから私のツイートの拡散は、恐らく審議の行方に関心をもって中継を見ようとNHKをつけたものの、放送されていないことを知って驚いた人たちによるものだと想像している。

今、多くの人が注目している法案審議を、公共放送であり、日頃から国会中継をしているNHKが放送しないということに疑問を持つ人が多いのは当然だ。
SNS上には「#NHKに内閣委員会の生中継を要求します」などのタグをつけた抗議も現れた。

また、直接NHKに問い合わせる人もいて、それによればNHKの国会中継には視聴者からの中継放送の充実の要望がある一方、ニュースや生活情報等の放送を求める要望も寄せられていることから、総合的に判断して中継を実施しているとのことだった。つまり、あくまでも幅広い視聴者ニーズを勘案して判断しているということだろう。

しかし一方で国会中継を巡っては、以前NHKがこのように回答したという報道もある。

https://news.livedoor.com/article/detail/14237121/

ここには、国会中継をする基準の一つとして『「党首討論」や国民的関心の高い重要案件を扱う委員会の質疑などは、適宜、総合的に判断して放送しています』とある。

前述のSNS上の動きに加えて、5月15日の内閣委員会開催時、衆議院のインターネットライブはアクセス集中で落ち、YouTubeなどで行われた配信は、通常の国会中継を遥かに凌ぐ視聴数だったという。

そもそもNHK自らが、この「検察庁法改正案」に対する世論の動きを重要なニュースとして捉えていることは、その報道内容からも見て取れる。

それはつまり、国民的関心の高さの点でも、視聴者ニーズの点でも、ニュースバリューの点でも、この日に国会中継が行われなかった理由を説明できないということを意味する。
それではなぜ、5月15日の内閣委員会は中継されなかったのか。その明確な理由は一切説明されていない。

政治の話はここまで。

実は私がこの一連の経緯を見ていて思い出したのは、これも先日SNS上で話題になり、後日ネットニュースにもなったツイートのことだった。

2011年に放送された同番組の「SMAPスペシャル」への再放送に対する、この時に限らない要望の多さは、NHKの発表からも明らかになっている。しかし、未だにそれは実現していない。

2019年7月17日、NHKがジャニーズ事務所に対する公正取引委員会の「注意」を速報で報じて以降、事務所をはじめ、NHK、民放各局はこぞって疑われているような圧力、忖度の存在を否定した。

例えば、これは他局の日本テレビのコメントだが、小杉善信同社長は7月29日の定例会見で、圧力について「一切そういう声は聞いていない」と完全否定した上で、「出演者に関する日本テレビの基本的な考え方は、まず番組側が出てほしいタレントさんを出演していただだけるよう努力する。また視聴者ニーズがあるタレントさんにも同じように出演交渉するということ」であると強調し、暗に事務所退職後の3人の出演機会が無いのは、彼らが「番組側が出てほしい、視聴者ニーズがあるタレント」ではないと言明している。

翻って、今回の『プロフェッショナル』再放送への要望の多さだけを見るなら、少なくとも「視聴者ニーズ」の点では、再放送に何ら支障がないことがわかる。
他にも再放送の決定には、著作権を持つテレビ局と出演者の肖像権を持つ芸能事務所の判断が勘案されると思われるが、これまではそのどちらの理由で再放送が叶わないのかははっきりしなかった。

しかし今回の同番組の公式アカウントのツイート内容が真実なら、番組側(局側)は、むしろその実現を希望していることがわかる。
そうなると、それでも再放送がなされない理由は自ずと絞られてくる。

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政治的関心で今回の経緯を見ている人は、「たかが」芸能ゴシップと結びつけるなと言うかもしれないし、
ファンの方々は、政治批判と結びつけるなと言うかもしれない。
しかし私が指摘したいのは、一見無関係な出来事の奥底に共通している「構造」のことだ。

声をあげた人へのバッシング、多くの要望があるのに放送されない番組、権力による人事とルールの掌握…
この一週間に起こったことを見るにつけ、どうしてもSMAPを巡る出来事を重ねてしまう。
いや、私のnoteの始まりは、元々今社会で起きていることが、SMAPを巡る出来事に象徴されていると感じたことだった。

テレビ局自らが公言する、視聴者ニーズや社会的重要性という大原則を越えて、放送内容を決定する「何か」があるのは、残念ながら事実だろう。
スポンサーがいる民放はもちろんのこと、公共放送であるNHKでさえも。

何を知らせて何を知らせないかは、情報社会では最重要課題で、その選択権を持つことは巨大なパワーになる。
だから権力はマスメディアを握りたがる。
もしも、ある部分でマスメディアが特定の権力や圧力にかしずくということがあるとしたら、それ以外の部分では全くそんなことはない、などと考えるのはあまりに無邪気すぎる。

SMAPを巡る出来事は、どんなに実績があっても権力に睨まれたら何をされても仕方ない、という今の空気そのもので、たくさんの人がそれを看過した。
私は、今の社会がこうじゃなかったら、あの「公開生謝罪」のような残酷な人権侵害の生放送はあり得なかったし、あったとしても社会が許さなかったはずだと思っている。
そして、あれほど多くの人に愛され、テレビと芸能界と事務所に貢献した彼らに対するあのような行いが許されるなら、どんな人にだって許されてしまう。その始まりでもあったと思っている。
だからこそ、この「権力さえあれば何をやってもいい」となっている社会を変えなければ、彼らを取り戻すこともできないとも思っている。

それでも、黙らずに声を上げ続けた人たちがいる。

これまでのSMAPを巡る無責任な報道に、SMAPファンがどれだけ一所懸命に、こんなのおかしい、ちゃんと見てと言っても、嘲笑され、無視されてばかりだったのが、近年「もしかしたらファンが言っていた通りなのかも…」と感じる人がじわじわ増えていっているように、今回のコロナ対策や検察庁法改正を巡る経過の中で、政治やマスメディアのあり方に関心を寄せる人が増えていると感じる。

マスメディアや権力側からの発信を鵜呑みにせず、丹念にファクトチェックしてデマを潰し、小さな声を繋げて、大きな力を動かしていくこと。
今の権力に対抗するために必要なこと、これはSMAPファンがずっとやってきたことだ。
そして、SMAPに起こったことを見ていくうちに、この社会の闇の部分に気づいたファンは多い。

それもまた、きっと少しずつでも社会を変える力になると、私は信じてやまない。

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