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論争の外にあるもの ー映画『ミッドナイトスワン』という経験

2020年9月25日に全国公開された映画『ミッドナイトスワン』は、公開館数151館と決して大規模とは言えない公開状況ながら、初週の興行成績6位を記録(2020年9月26日~2020年9月27日 (全国動員集計)興行通信社)。
映画ファンが多く利用する国内最大級の映画情報サイト・Filmarks映画でも、9月第4週公開映画の初日満足度ランキング1位、評価を表す★4以上の維持が続いている(10月6日現在)。
(以下、若干のネタバレがあります)

トランスジェンダーの主人公・凪沙を演じた草彅剛と、バレリーナを目指す少女・一果役の新人、服部樹咲をはじめとしたキャストたちの好演、日本映画では珍しい吹き替えなしの本格的なバレエシーン、渋谷慶一郎による音楽などへの高評価が聞かれる一方で、特に物語後半部分の凪沙を巡る描写について、必ずしも現実に即さない偏ったトランスジェンダー観を助長する可能性や、殊更に凪沙をマジョリティが思い浮かべやすい「ステレオタイプ」に合わせて悲劇的に描くことで、マジョリティの「感動消費」の手段としてマイノリティを利用しているなどの批判の声も上がっている。

確かに後半部分については、その経緯や登場人物たちの感情を丁寧に追った「小説版」に比べるとかなり端折った印象は否めず、私も各映画サイトに投稿した自分のレビューでその乱暴さについて指摘してもいる。そこには批判の焦点の一つとなっている、「性適合手術」とその結果に関わる描写も含まれる。
また、一果の友人である「りん」が辿る経過をどう考えるかも、おそらく観客によって意見が分かれるところだろう。
りんについては、いつかまたあらためて書きたいと思うけれど、私は以前、この物語における彼女たちについて、「これは『冷蔵庫の女』の変形じゃないのか」とつぶやいたことがある。
「冷蔵庫の女」(「女性を冷蔵庫に入れる映画」)は、物語上、必ずしも必然性がないにもかかわらず、主人公(多くはヒーロー=男性)に試練を与えるために殺されたりする女性のことを指す概念だ。
だから「感動消費」という批判には確かに頷けるものがあるし、ましてや「当事者」ではない私にできることは、やはりその声に耳を傾けることしかない。

もちろん、特に映画を観もせずに強い口調で糾弾し、作品に感動する観客たちを揶揄するような言葉を見れば、自分が心揺さぶられた、そのこと自体が悪いと言われているように感じて素直になれない自分にも気づく。
正直、今は私もまだそこにいる。
でも、昔好きだったドラマやバラエティに今はモヤってしまうように、知識や経験を通してこちら側が変わっていくことで、今見えていないものが見えるようになることは確かにあるのだとも思う。そこは、私の内に潜む差別や偏見を認めて謙虚にならざるを得ない。
(ただし凪沙とりんの扱いについては、この作品の大きなテーマとなっているバレエ『白鳥の湖』や、劇中で一果とりんが舞う『アルレキナーダ』についての知識があると、全く別の解釈が可能であるという興味深い感想も複数見かけるので、関心のある方はぜひ調べてみてほしい)

このように、『ミッドナイトスワン』に対する批判は批判として共感しながらも、それでも自分自身がこの作品を観て以来抱えている感情、そしてSNS上に溢れる、本当にたくさんの感想を読めば読むほど感じる違和感もある。
それは私たちがこの作品から受け取ったものが、批判する方々が指摘するような「偏ったトランスジェンダー像によって理解したつもりになって、その悲劇性につかの間酔う」というような言葉で括るには、いささか無理があるように思えてならないからだ。 感想を見れば、経験や背景で受け取るものは違っても、「かわいそう~( ノД`)」「感動した!泣けた!」では終われない作品であることは明白で、そういう意味では、こうした批判もまた「ステレオタイプ」だと思えてしまう。

『ミッドナイトスワン』を観て以来、私は草彅剛さんを見るたびに妙な感覚に襲われる。どうしても彼を見て「凪沙を演じた草彅さん」とは思えない、いや、凪沙を「草彅さんが演じた人物」とは思えず、本当におかしな話だけれど、「凪沙は、一果は、今何をしているのだろう」とぼんやりと考えてしまう時がある。
そのたびに、凪沙のした選択を理解したい思い、納得できない残念な思いが交差し、本当にそうじゃない選択をしてほしいなら、いったい彼女のために私ができることは何だろうか、と思う。
それは、りんに対しても同じだ。
そして、日々上がってくる感想を読む限り、似たような感情を抱えている方々が驚くほどたくさんいることがわかる。

それはある意味申し訳ないことではあるけれど、批判する方々が懸念するような、トランスジェンダーについて「誤った」知識を身に着けることですらない。
もしかしたらもっと手前の、もっと個人的なこと。
凪沙という一人の人に出会い、どうしようもなく惹かれ、愛情を感じてしまったがゆえに、もっと知りたい、関わりたい、彼女のために何かしたい、何かできないかと必死で考えることでしかない。
自分にできることなんて、たかがしれていると散々痛感しているのに、自分に誰かが救えると思うなんて傲慢だとわかっているのに、その気持ちがずっと消えない。
しかしそうやって愛した彼女のためにできることを考えることが、彼女が葛藤し悩み続けた彼女の性と、置かれている現実を知ろうということに、結果的に繋がっていくことはあるのだろうとも思う。

『ミッドナイトスワン』が公開されてから、まもなく2週間を迎えようとしている。
凪沙に出会い、一果に出会い、りんに出会い、瑞貴に出会い、その出会いから湧きおこってきた感情を抱きながら歩む人は、きっとさらに増えることだろう。
多くの論争の外で静かに、でも着実に自分の中の何かが変わる経験をする人たちが、明日の凪沙の、りんの未来を変えるかもしれない。

人と人とが真実に出会うとは、そういうことなのだと思う。


映画『ミッドナイトスワン』公式サイト

◆小説版『ミッドナイトスワン』 (文春文庫)


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