不眠症とともに歩む道
また今日も眠れない。
昨日も眠れなかった。
きっと明日も眠れない。
眠たいのに、こんなに寝たいのに。
ああ、お前はいつになったら、
お前はいつになればどこかへ行ってくれるのだろうか。
そうか、じゃあ、お前とともに生きよう。
ともに生き、いっしょに眠ろう。
皆さまおはようございます。
なんか売れない詩人のような始まり方をしてごめんなさい。
大丈夫です、僕は今日も元気です。
僕は、詩を書いてしまうほどに、不眠症とずっと向き合ってきた。
不眠症の人はたまにいるかもしれないが、不眠症すぎて詩を書いてしまう人は中々いないだろう。
不眠症に対する吐け口がなくて、詩として消化させるしかなかった。
何がきっかけかはわからないが、気付けば不眠症という病に陥っていた。
不眠症には、4つの種類がある。
・入眠障害
床についてもなかなか(30分~1時間以上)眠りにつけない。
・中途覚醒
一度入眠したあと、翌朝起床するまでの間に何度も目が覚めてしまう
・早朝覚醒
通常の起床時刻の2時間以上前に覚醒し、その後再入眠できない
・熟眠障害
眠りが浅く、睡眠時間のわりに熟睡した感じが得られない。
僕は、これら全ての不眠症を軽く網羅している。
20歳でコンプリートした猛者は中々いないだろう。
僕の症状でいうと、
布団に入って目を瞑っても5時間以上入眠できない、1時間ぐらいで運良く入眠できても夜中に20回ぐらい起きてしまう、そして目が覚め、再入眠ができない。
こんなことはざらにある。
そして、病院から処方してもらった睡眠薬を3種類飲み、10時間ぐらい熟睡しても次の日の日中がとてつもなくしんどい、寝てないときより全然きついときがある。
これは、熟眠障害というより睡眠薬のせいなのかもしれないが、睡眠薬以外に熟睡できるすべがないので検証のしようがない。
こんな重度の不眠症ともうかれこれ10年の付き合いになる。
僕は、不眠症というのは何か死神のようなやつ(以下「ふみ神」という)に取り憑かれている状態だと思っている。
そいつが僕の元を離れ、どこか遠い場所へ行ってくれれば不眠症も治る、そう思っている。
だが、どうやら僕の体は居心地が良いらしい。
ふみ神のやつは一向に僕の体から出て行こうとはしない。
図々しいったらありゃしない。
10年という月日は長く、肩書きは友達を超え、親友になっている。
いや、悪友というべきか。
10年来の友達なんて現実でも片手で数えるぐらいしかいないのに、なんでふみ神なんかで指折りしなくちゃいけないんだ、さっさとどっかに行ってくれ、実家を離れ地元から出ていけ、自立しろ。
そんな思いを常日頃から抱いている。
不眠症を自覚しだしたのは18歳ぐらいのときだった。
(なんか何をしても眠れないときがあるなあ、なんでやろなあ。
ホテルとか友達の家とか実家以外の場所だと特に眠れないなあ。)
不思議なもので、自覚してからは症状がさらに悪化した。
そんな状態のまま、20歳で社会人になった。
地元の福岡を離れ、ひとりで京都に赴任した。
24時間稼働の設備系の仕事をしていたため、僕の勤務は全部で6つぐらいのシフト形態があった。
なので、勤務開始時間は毎日ばらばら、14時出勤の次の日に朝6時出勤という過酷な勤務もあった。
生活リズムが崩れ、僕の不眠症は猛スピードで加速していった。
ふみ神のやつが常時居座るようになったのはこのときからだ。
眠れない日々が続いた。
このときはまだ、病院には通っていなかった。
不眠症で病院に行って睡眠薬をもらうなんて負けだと思っていた。
自力でふみ神のやつを体から追い出したかった。
なので、20歳からの4年間、僕は睡眠薬以外の療法を試しに試した。
漢方やサプリ、運動やストレッチ、禁カフェインや禁スマホ、ありとあらゆることを試したが期待できる効果は得られなかった。
だが、たまに地元に帰省し、実家のベッドで寝るとよく眠れるのだ。
これはどういうことだろう。
そこで、僕はある仮説を立てた。
生活リズムが崩れて不眠症が悪化したというより、実家を離れたという精神的ストレスが要因になっているのではないか。
前述で、実家に住んでいるときから友達の家やホテルなどの落ち着かない場所ではよく眠れなかったと書いたが、一人暮らしをしだしてからもその落ち着かない状態がずっと続いているのではないか、そう考えた。
そう考えたところで、対処法なんてものは何もなく、一人暮らしの家をいくろ取り繕ってもあの実家のような安心感はでなかった。
やっぱりお母さんって偉大なんだな、そう思えた。
24歳のとき、会社を退職し、芸人になるため京都から東京へ上京した。
江戸川区の端っこ、瑞江という場所に住んだ。
風が吹き抜けるのようなボロアパートだった。
知っている方も多いかもしれないが、瑞江という街は僕がこよなく愛した土地である。
知らない人はぜひ読んでみてください。
今からする話に深みが出ます。
瑞江に住んでから、やっと病院に通いだした。
重度の不眠症と診断され、お医者さんから2種類の睡眠薬を処方された。
だが、その睡眠薬を飲んでもあまり眠れなかった。
後日、お医者さんにそのことを報告すると、唖然とされた。
「これで眠れないのか、、相当ですね」
僕のふみ神を舐めてもらっちゃ困る。
そんじょそこらの弱小スタンドではないのだ。
僕には分かる、こんなちんけな薬ごときでやられるようなタマじゃない、そんぐらいならまず病院なんかに頼らない、さあどうする医者よ。
「では、薬のレベルを上げますね、これとこれを飲んでください」
次は、前回とは違う2種類の薬を処方された。
(また舐められたものだ、僕のふみ神を倒したかったら5種類ぐらいよこしてくれないと、結果はまた同じだぞ)
その夜、もらった薬を飲むと一瞬で眠れた。
死んだように熟睡した。
次の日も、そしてその次の日も、睡眠薬を飲むとふみ神のやつは姿を現さなかった。
それからは、決まった時間に起き決まった時間に寝る、そんな日々を繰り返していると、もう睡眠薬がなくても眠れるようになった。
そして、すぐに病院にも通わなくなった。
なんだ、生活リズムが狂っていただけか、精神的なものではなかったんだ、なんだ、僕の仮説は間違ってたんだ、ふみ神のやつもたいしたことなかったな。
あんなに辛く悩まされていたのに、終わるときはあっけなかった。
やっと自立したか、厄介者め。
ふみ神にお別れの挨拶はしてないけど別に寂しくなんかはない、あいつがいてよかったことなんて一つもないのだから、ほんとに清々している。
勝手に来て勝手に出て行きやがって、最後まで軽薄なやつだ。
そして、それからも何事もなく安眠の日々が続いた。
1年ほど経ったとき、僕は瑞江を引っ越すことになった。
だいすきな場所を離れるのは悲しいが、仕方のないことだった。
瑞江から遠く離れた、世田谷区の端の方に引っ越した。
引っ越してからすぐのこと、なぜか一睡もできない日があった。
まあそんな日もあるかぐらいに思っていると、眠れない日の頻度がどんどん増えていった。
(おいおいまじかよ、嘘だと言ってくれ)
僕の嫌な予感は的中した。
ふみ神のやつが大荷物を抱えて僕の元にやってきた。
おいなんで戻ってきたお前、自立したんじゃなかったのか。
ふみ神は出て行ったわけじゃなく、ちょっと長めの旅行に行っていただけだった。
生活リズムは崩れていないのに、また眠れなくなった、それも引っ越してからすぐに。
ここで僕はピンときた、やっぱり僕の仮説は当たっていたんだ、生活リズムが原因なんかじゃない、僕には実家のような安心感が必要なんだ。
瑞江のあのボロアパートは僕の中で実家レベルの安心感を与えてくれていたんだ、やっぱり僕の愛した土地だ。
それに気付いたところで、どうしようもないのだけれど。
今の家をいくら取り繕ったところで、実家のような安心感がでないことは前に実証済みだ。
そしてまた、僕は病院に通いだした。
瑞江のときとは違う病院で、今の家から歩いて15分ぐらいの場所。
最初に症状を説明したとき、お医者さんからびっくりされた。
そして一言、
「かわいそうに、、」
その言葉に逆にびっくりしたのを覚えている。
お医者さんが患者にかわいそうなんて言うんだ、なんか斬新だな。
まあでもそうだよな、僕のふみ神クラスの強者なんてそうそういないもんな、びっくりして当然だよな。
僕は、お医者さんに勝った気がして誇らしかった。
そしてそこから2年、今でも毎月その病院に通っている。
毎回3種類の薬を1ヶ月分もらっている、そして規則正しい生活をし、禁カフェインや寝る前のストレッチなどできる限りの努力をしているが、一向に治る気配はない。
そして最近、僕は不眠症に対して、考えるのをやめた。
もうそういうもんだと思い始めた。
僕たちが日本人に生まれて、なんで日本人に生まれたのかと毎日考える人はいないだろう、それといっしょで、僕は眠れないという人間に生まれてきた、ただそれだけ。
いくら眠れなかろうがいくら日中きつかろうが、ただ毎日をがんばる、答えは簡単だった。
寝ようが寝まいが人生を頑張ることに変わりはないのだから、寝れる寝れないなんてどうでもいいのだ。
不眠症のことを誰かに話すと、こうすると眠れるようになるよとか睡眠薬はよくないよとか色々なことを言われるが、もうそんな次元の話じゃないのだ。
やれることは全部やったし、散々きつい思いをして10年間悩まされた、その挙句、僕は不眠症について悟りを開いたのだ。
不眠症に悩んでいる人がいれば言いたい。
「大丈夫、悩むほどのことなんかじゃない」
僕よりひどい不眠症の人は見たことがない、僕よりはマシだと思えば気が楽になるだろう。
そして、そんな僕が不眠症なんかで悩む必要はないと言っているのだから、悩む意味は皆無なのだ。
今は、ふみ神のやつとも仲良くやれてる気がしてる。
こいつが横にいてくれてよかったなんてことは一つもないけれど、こいつには僕が必要なんだ、横にいてあげなきゃいけないんだ、そう思うようにしている。
だって、どんなに願ったってこいつはどこにも行ってくれないのだから。
じゃあ、ともに生きよう。
ともに生き、いっしょに眠ろう。
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