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愛した土地へ帰り、絶望するにはまだ早いことを知る


上京したての頃、相方と2人で瑞江という江戸川区の端の方に住んでいた。

期間は1年3ヶ月と短かったが、あの1年3ヶ月は僕にとってかけがえのないものであり、全ての思い出が色濃く残っている。


先日、そのコンビを解散し、相方が芸人をやめた。

僕は今後どうしようかと、何をすればいいのかと途方に暮れていた。
なんなら絶望していた。

なので、今いちど自分を見つめ直すため、2年と4ヶ月ぶりに瑞江へ足を運んだ。


ひとりで、僕の愛した土地へ。




今の家から1時間15分かけ、瑞江へ向かった。

都営新宿線の光景を眺めているとあっという間に船堀に着いた。

(やばいやばい、、あと2駅だ、緊張してきた、、)

そして一之江を過ぎ、瑞江へ到着。

電車を降りると、すぐさま瑞江の匂いが風に漂ってきた。

(これこれ、この匂い)

懐かしくてもう泣きそうだった。

改札を出て、いったん深呼吸。

やっと会えた。
やっぱりこの街が好きだ。
今日は思い出と遊びまくろう。

そう心に決め、まずは駅前を探索した。

僕が1年半働き、バイトリーダーまで登りつめたパチンコ屋はまだ健在だった。
流石に足を踏み入れる勇気は出なかったので、外からじっくり眺めさせてもらった。

なんか前より活気があるような、前はもっと店の雰囲気がどんよりしていたような、気のせいか。



駅前の姿はさほど変わっていなかった。

強いていうなら、僕が食べすぎてゲロを吐きそうになった焼肉屋安安が潰れ、別の焼肉屋になっていたのと、住んでいるときに恋焦がれていたくら寿司が新しくできていたことくらい。

よく行っていた居酒屋も健在で何より。


ニュースターでバイトしていた頃、バイト先に2個下の女の子がいた。
家が近所だったのでいつもいっしょに帰っていたが、お互い人見知りだったので会話は少なかった。

チャリを漕ぐ5分の間、一言も話さないこともあったし、話したとしても天気のこととか猫のこととか、中身のない話をずっとしていた。

そのときは何も思っていなかったが、いま考えると僕にとってあの5分間がとても尊く、かけがえのない時間だった。


その子とチャリを漕いでいたあの帰り道を、今はひとりで歩いている。
中身のない会話をぽつぽつと思い出しながら、物思いにふけながら。


そういえばその子と帰っていた頃、帰り道でいつも出くわす猫がいた。
その子と僕はその猫のことを「チャチャ」と名付けた。
チャチャは決まっていつも同じ場所にいた。


まだいるかなチャチャ。
会いたいな。
よし、チャチャに会えたらその子に連絡してみよう。
どれどれ。


チャチャは、いつもの場所にはいなかった。
2年も待ってくれているわけないか、チャチャもその子も。

後悔先に立たずすぎた。
まあしょうがない、切り替え切り替え。

仕切り直して瑞江探索に戻る。


瑞江に住んで、初日に行ったお店がある。
そこは、老夫婦が営んでいる狭ボロい居酒屋だった。
実は、老夫婦ではなく複雑な関係の2人らしいのだが、夫婦に見えるぐらい仲良くお店を営んでいた。
これから芸人になるという若者2人を応援してくれた。

その居酒屋が、今はクリーニング屋になっていた。
僕たちを投影しているようで、なんかやるせない気持ちになった。


僕たちが住んでいた住居に向かった。
2DKの壁激薄木造アパート、通称デッドハウス。
2階の人の足音が、耳元で聞いているかのようにうるさかった。
日当たり最悪で湿気がひどく、湿度計が振り切っていたのを思い出す。

だが、あの家がだいすきだった。
住んでいるときはあんなにも引っ越したかったのに。

そんなデッドハウスだが、なんか改装中だった。

今の僕ってことか、お前も転換期なのか、いっしょに頑張ろうな。


いつもネタ合わせをしていた河原へ向かった。
割と今日のメインである。
この河原で毎日のようにネタを磨き、相方といろんな話をした。
そして、いろんな人に会い、いっぱい刺激をもらった。


いつもの河原は、いつものままだった。

あの頃と何も変わっていなかった。

皮肉なものだ。

僕たちが河原を離れ、環境や状況が変わり、必死にもがいた結果、解散という結果になった。
そして、僕らの原点である河原に戻ってみると、河原はあの頃と変わらず、時が止まっているかのようだった。

まだこの場所にいれば、僕たちも変わらずあの頃の気持ちのままお笑いをやれていたのかもしれない。
僕があのとき、引っ越そうと言わなければ、僕たちが変わることはなかったのかもしれない。

たらればの話はキリがないが、そんな気がしてならないのだ。


いつも、この河原でネタ合わせをしていた頃、よくサッカーを練習している親子がいた。

その親子がたまたま今日の河原にいた。

子供の背丈が伸び、顔が凛々しくなっていた。
子供の成長から、2年と4ヶ月という日が長いことを知った。


瑞江を離れるなよ。

僕は、親子と僕たちを重ね、心の中で忠告してあげた。


ここで、急に豪雨が降り注いできた。

とりあえず走った。

そうだと思い、よく行っていた銭湯へ向かった。

濡れないように、屋根をつたいながら行ったが、たどり着いたときには全身びしょびしょで、髪から水が滴り落ちるレベルだった。


中へ入ると、見覚えのある番台さんが笑顔で出迎えてくれた。

懐かしいな。
ライブの前日は毎回この銭湯に2人で来るのがお決まりになっていた。
どっちがそう決めたわけでもなく、自然とそういう風になっていた。


風呂場へ入ると、11人のご老体がせめぎ合っていた。
みんな推定80歳以上、そこに金髪の若者が1人、側から見ると異様な光景だろうなと思った。
でも、僕はなぜかそこが居心地良かった。

30分ほどで上がり、紙パックの牛乳を一気に飲みほした。
喉がかっぴらいて頭がクラクラした。

銭湯を出ると、雨は止み日が差していた。

屋根から滴る雫を見ながら、タバコを吸って一息ついた。


よし、とりあえず駅前に戻ろう。

そして、同期とよく行っていた駅前のラーメン屋に行こう。
あそこのまぜそばを食べないと今日は帰れない。

僕は、来た道とは違う道で駅前に戻った。


ここで、ラーメン屋に行くはずが、なぜか吸い込まれるようにパチンコ屋に入った。


このガイアでいくら負けたかわからない。

だから、ここでは絶対に打たない。
見るだけ見るだけ、中を確認して思い出に浸るだけ。

そう言い聞かせながら、なぜか筐体の前に座っていた。


そして、普通に15000円負けた。


なぜか何も憤りを感じなかった。


退店しようと席を立つと、よくニュースターに来ていたハイエナ親父とすれ違った。
あの頃とは違い、髭が大量に生えていた。
そこでもまた、2年と4ヶ月という日が長いことを知った。


店を出て、次こそはほんとにラーメン屋へ。
僕らの五十六である。

コンビ名を五十六にするか迷ったぐらいここには思い出が詰まっている。

元気よく席へ通され、カウンターに座った。

若めの店主が1人とおじさん客が1人、仲良さそうに話していた。

メニュー表が以前と変わって、可愛らしいものになっていた。

とりあえず瓶ビールと餃子を頼んだ。
先にまぜそばを頼まず、ビールと餃子を食してからメインを頼むことで通ぶる作戦だ。


餃子を口に運んでからビールで流し込む。

喉がかっぴらいて視界が少し歪んだ。

時間をかけてビールと餃子を食し、いざまぜそばを注文。

久しぶりのソウルフード、ワクワクが止まらない。

しばらくして目の前にまぜそばがやってきた。


美しい。

このシンプルさがまた良い。

まぜそばを口に運ぶと、全ての思い出が走馬灯のように駆け巡ってきた。

たまらず再度、瓶ビールを注文。

ビールとまぜそばで口の中は小宇宙だった。

途中で、こギャルの店員が出勤してきた。
こいつも僕好み、すごいな五十六。
おそらくこのこギャルは実家暮らしだ、間違いない。
僕の第六感がそう教えてくれた。

ほろ酔いで五十六を出てタバコを吸うと、瓶ビール2本しか飲んでないのに目がとろけてきた。

逃げ込むようにサンマルクカフェへ。


ここは、バイト前にいつもネタを書いていた場所。
NSCで披露したネタの9割はここでできたと言っても過言ではない。

アイスミルクティーを頼み、席に座った。

落ち着きすぎて、気付いたら30分ほど寝ていた。

起きて携帯を見ると、仲の良い同期から連絡が入っていた。

「いま瑞江に向かってる!」


、、ん?、、なんで?

いやたしかに瑞江に行ってくるとは連絡したけど、、

もう20時過ぎだというのに、瑞江という僻地だというのに、やっぱり瑞江は人の心を躍らせる街だ。

しかも、その同期の相方も連れてくるとのこと。

いや相方とは喋ったことないって俺。
なんで瑞江で初対面せないけんの、おかしいって。

色々な疑問と不安な点はあったが、なんだかんだワクワクが勝った。
だから、コンビニで缶チューハイとビールを買って駅前で座って待った。

40分ほどして、2人のおかっぱが到着。

一旦、駅前で談笑。

一言も話したことなかった同期は、昨日僕のコンビ解散発表ラジオを聞いて、すぐにでも僕に会いたくなったと言ってくれた。

酒を1本飲み終わる頃には、もう打ち解けていた。
話すとすぐに打ち解ける、これが芸人の良いところ。

ここで、昔よく行っていたスナックに行くことになった。
おばちゃんママ1人で切り盛りしている地域密着型のスナックだ。

そこのスナックの名前は「胡桃」。
そう、僕たちのコンビ名の由来になった場所である。
コンビ名を胡桃に改名してからすぐに引っ越したので、ママは僕たちが胡桃だったことを知らない。

コンビ名を2年以上使わせてもらっていたこと、そして、僕たちが解散したことを報告しなければならないと思った。

2人のおかっぱと1人の金髪が、いざ胡桃へ。


店に入ると、割とすぐにママが僕のことに気付いた。
もう2年以上来ていないというのに、僕のことを覚えてくれていたのである。

うれしかった。
本当に来てよかった。

ママに僕たち胡桃のことについて報告した。


ママは笑顔で「ありがとう」と言った。

正直、僕は不安だった。

なんの前触れもなく引っ越し、勝手に名前を使い、ママからすると嫌なんじゃないかと、申し訳ないことをしたんじゃないかと、恐る恐る報告した。

だが、ママは

「うれしかったよ」

と、屈託のない笑顔で言ってくれた。

僕は、それだけで救われた。

今日このママの言葉を聞くためだけに芸人をやってきたんじゃないか、そう思った。

ママのその言葉だけで、芸人になってよかったと心の底から思った。

涙がでそうになるのをこらえ、同期と楽しく朝まで飲み明かした。


誰だって、先に何が起こるかわからない。
わかる人なんて誰もいない。
人間は絶対につまずくし、後悔が付きまとう生き物。
失敗しない人間なんていないし、みんな弱くて不安になることがあると思う。

そんなときにでも思い出してほしい。

やってきたことに意味がなかった、なんてことはないのだと。

僕の話で言えば、お笑いを頑張った結果、何も成果がでず、相方と解散してしまった。
自分でも非常に悲しくて虚しい結末だと思う。

だが、ママがうれしかったと言った。

あのママの言葉と表情を見れただけで、僕はお笑いをやってきてよかったと強く思えた。
それだけで十分すぎた。


だから、僕はまだあきらめない。

結果に期待なんかしないし、今後も不条理なことに落胆することはいくらでもあると思う。

でも、やってきたことに意味があったとずっと思い続ける。

やってきたことに意味があるとするなら、絶望するにはまだ早いじゃないか。

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