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ダイヤモンドのネックレスを買った話を

こんにちは。
梅雨の暑さと湿気のしんどさに毎日うんざりしますね。
私は今年もまた大変な汗の量に困り果てて過ごしております。多汗症の治療行ったほうがいいのかしら、と思う日々でございます。

今日はいつもの悪口とは違うnoteを書こうと思います。あまり面白くはないと思いますがよろしくお願いしますね。


先月ダイヤモンドがついたネックレスを購入したんです。
だからなんだって思われたかもしれないですけど36歳にして初めてダイヤモンドの物を身に着けましてね。
そうです、真っ当な人生を送っているのならば年頃になったら彼氏からダイヤモンドがついた何かしらをプレゼントされたり、婚約指輪パッカーンでダイヤモンドの指輪を貰ったりするでしょうね。男性から貰わなくとも私ぐらいの年齢の女性であればきちんと貯金をして自分へのプレゼントやご褒美としてダイヤモンドの何かしらを持っているのが当たり前なのではないかと思いますよ。えぇ。
私のnoteを読んでくださっている方ならもうご存知の通り36歳(再来月には37歳、キャー)にしてまともに(まともな)男性とお付き合いしたこともなく、宵越しの銭は持たないんかっていうぐらい無駄遣いをして生きてきた私にはジュエリーってもんには縁がなくてですね(恥ずべき人生)。
それに私はあまりブランド物とかキラキラしたものにあまり憧れがなくて(お金もなくて)。
なのでSNSで流れてくるブランド物を身に纏った女性や素敵な豪華なプロポーズなんかもどこか別の世界の話のように見ていたんですよね。ハリーポッター感覚。
いやいや、幸せな女性たちに妬みのこもったクルーシオなんて唱えてないですよ、ハハハ。


それがどうしてこの度ダイヤモンドのネックレスを買ったかと言いますと、まずは母方の祖母の話をしても良いでしょうか、しますね。

祖母はえらく賢い人だったそうです。当時の盛岡二高を出て旧郵政省の貯金局に勤めていたらしく。その中でも優秀な人しかいない部署で働いていたそうで、父方の親戚で貯金局で働いていた方がいて祖母の名前を出したら「あの◯◯さん!」と言われるぐらいの人だったみたいです。
そんな祖母と祖父と出会いなんですが。祖母の生家の裏手の川の土手の工事に、宮城県は丸森町から来ていた祖父と出会って恋愛結婚をしたとかで。当時にお見合いじゃなく恋愛結婚って珍しいのではないのかな、と。そんな結婚をしたはずの祖父母ですが晩年は「クソジジイ」「くされババア」と罵り合う喧嘩をよくしてましたね。AB型とO型ってやっぱり相性悪いんだなって植え付けられましたよ。
娘の娘ということで私はとても祖母に可愛がってもらいましてね。あとにも先にも私のことを「あっこ」と呼ぶのは祖母だけでした。母の実家に泊まりに行った時は今は無き中三(あまりにも地元ネタ)の地下で買ったお惣菜を必ず出してくれました。私が美味しいと言ったからなのでしょうね、決して近所ではないのにわざわざバスに乗って中三まで買いに行ってくれていたのだと思います。青と白の包装紙に包まれたあの一口サイズのハンバーグまた食べたいなぁ。中三がなくなった今、決して叶うことはないのですが。
キッチンに立つ祖母の横に立ってはあまりにもしょっぱい梅干しをよくつまみ食いしてました。私の梅干し好きはここが由来だったかもしれません。
祖父が15年程前に亡くなってからは一気に認知症が進みまして、亡くなるまでの10年ぐらいは老人保健施設やグループホームで過ごしました。認知症で身の回りのことが上手くできなくなった祖母の歯磨きを会いに行くたびにできたことは歯科衛生士になった甲斐があったのかなぁと思います。少しは孝行できたかな。

そんな祖母が今年の3月に亡くなりまして。
私と同じ兎年でしたので享年97歳でした。すご。
もちろん悲しかったのですが、おばあちゃん頑張ったなぁ〜って思いましたね。ここ数年は何度も危篤状態になったりもしたのですがその度に復活してはグループホームに戻っていたので不死鳥と呼ばれていたそうです。

その祖母の遺産が6月に母の手に渡りまして、母が私たち兄妹に分けてくれたんです。
「助かる〜!」って思ったんですが生活費に消えるのはなんだかなぁって思いましてね。最初は新しい自転車でも買おうかなと思ったんですが自転車もいずれかは捨てなければならないものだなって。母と電話しながらその話をしていて、ふと「あ、なんかネックレスとか買おうかな」って出たんです。そしたら母も「良いじゃん良いじゃん」って言ってくれて。成人する頃にピンクパールのネックレスを贈ってくれるような祖母でしたからきっと賛成してくれるよねって。そして女子なら一度は憧れるであろうティファニーだなって、すぐに浮かびましてね。
それからティファニーのホームページを見ては、あれじゃないこれじゃないって色々考えまして。最初はシンプルであまり高価じゃないネックレスにしようかなと思っていたんです。ダイヤモンド着けるようなキャラじゃないしな私、って思いまして。ですがずっとティファニーのあれこれを見ていたらせっかくだからダイヤモンドにしようかなって思い始めて。『多分このままこの人生を送っていればきっと男性からはダイヤモンドを貰うことはなさそうだし、このタイミングで買わなきゃ多分一生ダイヤモンド手にすることなさそうだな?』ってね。

そして6月のとある日曜日に行ってきましたよ某デパートに入っているティファニーの店舗。
36歳にしてお高いブランドの店舗になんて入ったことがないものでドキドキしましたよ。日曜日だったこともあってカップルがたくさんいましたよぉ。入って数分は所在無げにウロウロしちゃって。ようやく店員さんが話しかけてくださったので「シルバーのバイザヤードのネックレスを見たいのですが」
はい、予習してたので完璧に言えましたね。
店員さんに「普段使いならこの大きさのがおすすめです」って言われるがままに試着して、即決でした。すごいね、ダイヤモンドって。思ったよりキラキラしてるの。自分の胸元でキラキラしてるダイヤモンド見たらふぁ〜ってなるのね。
なんですけどね、私ほら太っているもので。既製の長さのネックレスがぱっつんぱつんで。これチョーカーでしたっけ?みたいなぐらい。
店員さんも思わず「長さの延長もできますよ」なんて声かけちゃうぐらいで。
太ってる代償として延長の料金とお直しで2週間受け取れないっていうね。
「出来上がるまでのお時間楽しみにお待ち下さいね」って言ってくれたのさすがティファニーなんだろうなって素人ながらに感動しちゃったよ。
てっきりこの日にネックレスを手にできると思っていたものだから手ぶらで帰るのが寂しくてアディクションに寄ってタッチアップしてもらって限定のアイシャドウのパレット買っちゃったよね(こういうところが貯金できないところなんだって)。

そしてそれから約2週間後に扁桃炎がつらくて仕事帰りに行った病院の待合室にいる時になぜか非通知で電話がかかってきましてね。普段なら非通知の電話なんて絶対に取らないのですがもしかして待ちに待ったティファニーからじゃないかと思って急いで外に出て電話を取ったらやはりそうで。すぐにでも取りに行きたかったものの、その晩から38℃を超える高熱で3日間寝込みまして。電話を受け取ってから4日後の仕事帰りにようやく受け取りに行けました。
確認のためにって着けたネックレスそのまま着けて帰りました(可愛いね私)。

こちらがティファニーのバイザヤードってやつです


家に帰ってから、ネックレスが入っていた小さなティファニーブルーの袋を父の遺品を飾っている透明のボックスに一緒に入れました。

それからサウナの時以外はずっと着けて過ごしているのですが、すごいねダイヤモンドのネックレスってもんは。ふと鏡をみた時に胸元にダイヤモンドがあるんです。小さなダイヤモンドですけどキラキラしてね。今までジュエリーに興味もなく生きてきたけれど、なるほどこれは意味があるもんですわ。ダイヤモンドだからなのか、大好きな祖母の遺産で買ったネックレスだからなのかですけどね。いや、どっちもかな。

遺産を遺してくれた祖母にもそれを分けてくれた母にも感謝ですほんとに。


2年前に父が亡くなって、今年の3月に4人いるはずの祖父母の最後の祖母が亡くなって。自分のルーツが母1人になってしまいましてね。なんだかすごく寂しいものです。母を大事にしようと思うと同時に、なるほどだから人間は結婚して子孫を残すんだろうなと思いました。多分母が亡くなったら前も後ろも何もなくなったような気持ちになるんだろうなって。
前に生きる意味を見出すために今からでも頑張ることはできるのかもしれないけれど。私にはその勇気と気力はないようで。せめて横にパートナーがいればと思うけどなかなかそれも難しいようで。

やだ、ティファニーのネックレス買ってウキウキしたnoteを書くつもりがしみったれちゃった。


祖母と母の愛を胸元に感じながらとりあえず毎日を生きることにします。せめて、楽しくね。


ということでお読みくださってありがとうございました。

毎日を少し輝かせるためにダイヤモンドのネックレス、おすすめします。


では。

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