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鋼鉄乙女のモン・サン=ミシェル戦闘記(37)

 それは土に侵食された灰色の街だった。
 雑に敷き詰められた石畳の細道。その両側には、ごく一般的な農家の造りをした家屋が立ち並んでいる。
 所々に放置されたままのフランス軍戦車とジープには、厚く土埃が積もっていた。
 
 ここはフランス西部グランヴィル近くの集落──正確にいえば集落の跡地と表現したものか。
 
 つまり、廃墟である。
 時折、野良犬や鳥の影が過ぎるだけだ。
 太陽の光の下、人の姿のない街並みが広がる様は、不思議なものであった。
 
 ドイツ軍の攻撃を受け住民が他所へ逃げたのか、或いはフランス軍が拠点の一つとして使用するため、人々を追い出したか──どちらにしろ、よくあることだ。
 
 ノルマンディーは主戦場になるという噂があるため、追われた住民も戻ってこないのだろう。
 この辺りはイギリスをにらむ格好で随所にドイツ軍が駐屯しているし、万一イギリス軍が攻勢に転じたとしたら、このあたり目がけて攻めてくるはず。
 人が寄り付かないのも無理はない。
 
 静かに土に還ろうとするかのようなその廃墟に、不意に騒々しい声が響き渡ったのは、一九四〇年十月三十日、午後三時過ぎのことであった。
 

「アミ、痛い?」
 
 ご機嫌をうかがうように見上げたのは、隻腕の少女の肩口に血が滲んでいることに気付いたからだった。
 
「あたりまえだ。わたしにだって痛覚くらいある」
 
 何を怒っているか知らないがアミは憤然とした口調だ。さっきまでニマニマ笑っていたかと思えば急に沈み込み、果てはムスッと頬を膨らませてしまう。
 
 痛覚があるというわりに、流れる血液を拭おうともしない。
 第一、片腕がなくてもケロリとしている。
 あまり当てにならない神経だと考えつつ、ラドムは曖昧にうなずいた。
 
 単独行動中にアミが見つけたらしい廃墟に入りこんで、左右を建物の影に囲まれた安心感からか、ラドムはようやく落ち着きを取り戻していた。
 ここなら、もしも奴が襲ってきたとしても身を隠す場所くらいあるだろう。
 
 しかしこんな所にいつまでも潜んでいるわけにもいかないし、はたしてこれから先の見通しが立っているのか……。
 隣りの仏頂面のアミをチラリと見あげて、ようやくラドムは彼女の不満の原因を悟った。
 
「うっ……!」
 
 悲鳴を飲み込んだのは、彼女の左手が蛇の頭部を握り潰していることに気付いたからだ。
 苛々したように、自身の爪で蛇の牙をカツンカツンと叩いている。
 

「アミ、それ……アミが獲ったの?」
 
「ん、何?」
 
「いや、だからその蛇……」
 
「んん? 何だって?」
 
「だからその蛇はアミが……?」
 
「んんん?」
 
 彼の声が聞こえているのは明白だ。
 ラドムが蛇に反応した途端、彼女は機嫌を直した。
 膨れっ面が一気に緩む。
 ようは蛇を見てスゴイスゴイと感心されたかっただけなのだ。
 
「まぁ、大したことはないけどな。こうやって! ホラ、カンタンだ」
 
 ソレを捕まえた時の様子を再現しているのだろう。
 アミは握った左手を無闇に振り回す動作をしてみせた。
 
 ──疲れる……。
 
 数歳年上であるはずの彼女を見上げ、ラドムはフゥと老成した溜め息をついた。
 
「すごいねぇ、アミ。感心するよ。さて、僕はちょっとだけ休ませてもらおうかな……」
 

 先程の毒草に当てられたらしい。
 今更ながらクラリと目眩が襲い、気道の奥が細かく痙攣していることに気付く。
 祖父の本の記述、その曖昧な記憶を頼りに毒草を見付け、選別し、ドイツ兵の不意をついて使用したのだ。
 
 《鋼鉄の暗殺者》を名指しで罵倒するドイツ兵の言葉を聞いてしまったラドムは、そこから根深い憎しみの感情を察知した。
 そのときは別行動をとっていたものの、アミがこの近くにいるのは確実だ。
 あの男を、アミに会わせてはいけない。
 咄嗟の判断で、ドイツ兵の足止めを画策したのである。
 
 実際、ヨーロッパで見かけることは稀なのだが、生い茂る木々の中にインド産マメ科の有毒植物であるカシューの木を発見し、ラドムは一計を案じる。
 
 まず、その幹に傷を付けた。
 カシューの油は常に毒性の蒸気を発散している。
 大量に浴びると五分程で皮膚が変色してくるという。
 
 更に芥子(ケシ)の汁をあの男の顔面にかけてやった。
 未熟な実の乳液から阿片(アヘン)を取るという知識はあっても、あの短時間で正確な精製など出来ようはずもない。
 僅か十一歳の子供が適当に作った草汁に、予想外に相手が苦しんだのは幸運だったといえよう。
 
 危険を冒したのは、あの男から漂う狂気の香りを本能的に感じ取ったからかもしれない。
 果たしていつまで効果が続くか分からないが、ラドム自身がそこから逃げ切り、アミに危険を告げる時間だけは何とか稼げたわけだ。
 

「どうかしたか、ラドム?」
 
 ヘビを褒められて笑顔を取り戻したアミ。
 今度は左手に握り締めたマッチ箱、口にくわえたマッチ棒を駆使して何とか火を点けようと奮闘している。
 大きな瞳で訴えるようにじっと見詰められ、ラドムは仕方なくそれを受け取りマッチを擦った。
 そこいらの木切れを燃やして焚き火を大きくし、アミは異様な歓声をあげている。
 
「アミ、落ち着いてったら……」
 
 何であれ、先程の人物のことは彼女には黙っているつもりだった。
 心配をかけたくないというのと、彼女が無茶をしては困るとの思いもあったから。
 
 ラドムとしては船を襲撃したドイツ兵──K(コルト).アッド・オンが死んではいなかったのだと考えたのだ。
 双子のH.アッド・オンの存在を知らない彼としては無理からぬ判断だ。
 船でアミにこっ酷くやられたKが、その復讐のため、ここまで追って来たとしか考えられなかった。
 
 脳裏に蘇る──奴の躊躇いないナイフ捌き。
 アミが片手の状態での応戦は難しいだろう。
 


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