鋼鉄乙女のモン・サン=ミシェル戦闘記(63)
寝台に横たわった男は一応、死の淵からの生還は果たしたということらしい。
運び込んだ当初は心臓が止まり、絶望的な状況だったらしいが、医師(マディー)の措置が功を奏して何とか一命を取り留めたのだ。
清潔な白のシーツと枕。それから白のパジャマ姿は、これまで彼にまとわりついていた色彩のイメージとはかけ離れたものであり、まるで別人のように映った。
唯一、今までの印象を留めている黒髪を見やり、彼女は脇の椅子に腰掛ける。
やっぱり起こしては悪いだろうか。
でも聞きたいことは山ほどあるし……。
少女が頭を捻ったところで、枕元の気配に気付いた男が眸を開けた。
その視線が一瞬室内をさ迷い、そして鋼鉄の少女の元に留まる。
最後にその眸は閉じられた。
「すまない、アーミー……」
「シュタイヤー……?」
アミの声には迷いがある。
今までのようにその名を呼べば良いのか、それともお兄さんとでも言うべきだろうか。
右肩の痛みを少女は堪える。
彼がついた嘘より現実は残酷だった。
父親であるガリル・ザウァー自らが、幼かったアミの腕を切断したのだ。
「何であんな嘘を?」
ガリル・ザウァーを問い詰めるまでもない。
二十四歳のシュタイヤーが、十四歳のアミの父親であると名乗ったところで、信じる者がどこに居る?
告げられた当初は多少混乱したものの、落ち着けばアミとてすぐにその違和感に気付いたものだ。
黒の眸は閉じられたまま。小さな声がその唇から紡ぎ出された。
「父も母も黒髪だった。子供であるオレもお前も同じ色をしていた……」
「シュタイヤー?」
己の銀髪に手をやって、アミは不思議そうに首を傾げた。
「ガリル……父が腕を切ろうとしていたのは、本当はオレだったんだ。しかし、父と同僚の話を盗み聞いたオレは手術室に連れて行かれる直前、恐ろしくなって逃げ出した。だから急遽、幼かったお前が実験台に……」
「そ、そうだったか」
何と答えれば良いのだろう。
彼を慰めるのは逆に変だし、かと言って上手い台詞も思いつかない。
アミは口ごもったまま、落ち着きなく銀髪を弄っていた。
「その髪……」
「え?」
「数日の入院期間の後、義手をつけられて家に帰ってきたお前の髪はその色に変わっていた。腕を切られたショックで色素が死んでしまったのだろうと、後々父は話していたよ」
「そうだったか……」
肩と義手の結合部分が傷むも、血は出ていないことを確認する。
我ながら、ぎこちない動作だとアミは小さく息を吐く。
正直、どう答えて良いやら分からない。
馬鹿みたいに「そうだったか」と繰り返すだけ。
「二年後、今度は左腕の切断を父が計画していると悟った母が、オレとお前を連れてドイツを逃げ出したのだ」
「そうだったか……」
後はガリル・ザウァーの口から聞いて、アミも知っている。
追っ手のザクソニアに母は殺された。
そのショックと怒りから父は国を捨てたのだ。
子供二人を連れてフランスに落ち延び、復讐の機会を窺うことになる。
「わたし、何も覚えてないよ」
そこで初めてシュタイヤーが眸を開けた。
妹の方を見つめ、切なげに顔を歪める。
「オレの目の前で母は殺された。失神したお前の右手からは血が流れっ放しだったし、ドイツ兵にも追われていた。父もオレも怪我をしていたし、絶望していた……」
遠くをさまよって揺れる黒の眸。
彼にとって、忘れられないあの日の光景を見つめているのだろうか。
「このまま追い詰められて、死ぬしかないのかと考えていたところだ。ケロッとした顔で起きてきたお前は、今までの記憶を全て失くしていたのだ。そんなお前に事情の説明なんて出来なかった」
だから、嘘をついた──苦い思いを込めてシュタイヤーは呟いた。
父親が彼女に酷いことをしたという事実を、絶対に本人に知られたくなくて。
だから、アミは幼少期にドイツ偽装船によって家族を殺されて腕を負傷したなんて嘘の話を、シュタイヤーはでっちあげたのだ。
親子であることすら伏せるようにと父に頼んだのだという。
幾つもの嘘を重ねて記憶を白い闇で覆うことによって、忌まわしい出来事そのものを封印させようとしていた。
「すまなかった……」
絞り出すようなその言葉を受けて、アミは反射的に首を振った。
皮肉なことに、まるで本当の父親のようにガリル・ザウァーを慕うアミ。
彼女を傷付けることを恐れて、それでシュタイヤーは自分が父親だなんていう妙な嘘を付いたのか。
真実に近付かれるくらいなら、自分が泥を被った方がましだと考えて。
アミとガリル・ザウァーの板挟みになって、長年苦しんできたのはむしろこの男だ。
「わたしの方こそすまない……」
少女の涙声にシュタイヤーは驚いたように眸を見張った。
「嘘をつかせてすまない。ガリル・ザウァーを殺して、すまない…………」
父を──本物の父親のように愛するガリル・ザウァーの心臓を貫いた自らの手を見下ろし、アミは肩を震わせた。
そんな妹の銀髪に伸ばしかけた手を、シュタイヤーは途中で止める。
少女の姿を寂しく見つめるだけ。
ガリル・ザウァーは自身の妻を深く愛していたという。
全ての事情を知るシュタイヤーには、よく彼女の話をしていたらしい。
思えば妻を失った時から、彼の精神の崩壊は始まっていたのだろう。
「戦争が終わって、この怪我が治ったら……オレはドイツへ帰ろうと思う」
故郷を懐かしむ声でもなかったが、シュタイヤーは窓の外を見やった。
「父と母の墓くらいは、やはりあの国に作ってやりたいと思ってな。……お前は?」
そうか、と無意識にうなずいてからアミは戸惑ったように顔をあげた。
「わ、わたしはそこまで考えてない。シュタイヤーと一緒にいたいけど、イギリスとかアメリカにも行ってみたい。戦争は嫌だし、この腕も何とかしないといけないし。わたし、ちゃんと考えなきゃ……」
「そうか……」
シュタイヤーは微笑した。
「腕が最優先だな。ちゃんとした義手を作るべきだ。早い方がいい。怪我が治ったらすぐにでも出発しろ」
「う、うん……」
そうしたら二度と彼に会うことはないように思えて、アミは戸惑った。
「シュタイヤー……」
消え入りそうなその声は、しかしあえなく拒絶される。
寝転んだまま、シュタイヤーが彼女に背を向けたのだ。
「オレは少し休む」
「そ、そうか。そうだな。ゆっくり休め」
まるで追い立てられるように、少女は部屋を出た。
一瞬、振り返ったその先で黒髪の男は肩を震わせているように見えた。
※
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?