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鋼鉄乙女のモン・サン=ミシェル戦闘記(41)

 自分の背中が窓枠を破壊する音と、背骨のきしむ響き。
 それに、肺の空気が漏れるような悲鳴が重なる。
 
 外に放り出されたのだ。
 肩から地面に落とされ、激痛のあまり意識が眩んだ。
 視界に広がるのは、回転する空。
 それから燃えさかる家。
 
「ア、ミ……」
 
 跳ね起きようとした彼の身体を、しかし強烈な力が押さえこんだ。
 頬に冷たい感触。
 
「ボク、キレーなカオしてるねぇ」
 意外に整った少年の顔。
 頬から顎にナイフの刃先を滑らせる。
「深くキズつけたくなるね。アレ、ボクちゃん、もしかしてユダヤ人かな? 色素が薄いからパッと見、分かんないよね」
 
「う……」
 
 少年は声を失った。
 恐怖が身体を竦ませる。
 代わりに窓辺に駆け寄ってきたのはアミだった。
 
「ラドムを放せっ! キサマの狙いはわたしなんだろ。それならラドムは関係ない!」
 
「ヤだよ」

 己の手にあるナイフのおかげで《鋼鉄の暗殺者》が、窓枠を越えるのを躊躇っているのが分かるのだろう。
 男はいやらしい笑みを浮かべた。
 
「ボクちゃんにも、それはそれで深い恨みがあるんだよね。さっきヒドイ目にあったもんねッと!」
 
 語尾に異様に力が入ったのは、暴走しかけた利き手の制御に苦しんだ故だろうか。
 ナイフのきっ先、その鈍い光が少年の頬にめり込む。
 肌が裂けるプツッという音と共に溢れ出る、赤。
 刃先はそのまま滑り、少年の頬に赤い糸が引かれた。
 ラドムの呻き声で我に返ったアミが、何か叫びかけたそのときだ。
 
「ボクはH(フランキ).アッド・オン」
 男の顔が怒りで歪んだ。その双眸が憎々しげに銀の少女を捉える。
「ボクのカオ、よく見なよ! 忘れたとは言わせないよ!」
 
「フランキ……?」
 
 一瞬、どういうことか分からず、ラドムは身体を強張らせたまま男を見上げる。
 船で自分をいたぶった奴と寸分変わらぬ姿のそいつは、今やアミを凝視していた。
 いや、アミというより彼女を通りこして、想像上の悪魔でも睨みつけているかのようだ。
 

「普通さァ、双子って片っぽに何かあったら、もう一人にも痛みが伝わるっていうんだけどね。あのとき、ボクは何も感じなかったよ。連絡受けてあわてて行ったらK(コルト)のヤツ、心臓ツブされて無残な死体になっててさ」
 
「ああ、あの船の……?」
 
 向けられる憎しみが何であるか、アミにもようやく合点がいったようだ。
 
「いい格好だね、《鋼鉄の暗殺者》。その右手はどうしたのさ?」
 
 揶揄するような響き。
 耳障りな声にアミは顔をしかめる。
 
「オマエは内臓全部引きずり出してから、殺してやるよッ!」
 
 全てを圧倒するように叫ぶと、Hはまどろっこしそうにナイフを捨てた。
 軍刀(サーベル)を抜き放ち、更に左手に短銃を構える。
 右手はラドムに向け、左手の獲物はアミに狙いを定める格好だ。
 
 だが、一瞬遅かった。
 左手人差し指に力が入り筋肉がピクリと震えた刹那、少女の身体が回転したのだ。
 銀の軌跡を描くように、隻腕が宙に半円を描く。
 
「ウッ!」
 
 小さな悲鳴と共にHの銃は地に落ちた。

 咄嗟に銃を拾いかけた彼の喉元に、アミの手刀が打ちこまれる。
 辛うじてかわして揺らいだ長身の脇をすり抜けるように、彼女は窓枠を越えた。
 
「キサマが武器庫を襲ったか?」
 
「な、何の話だよッ?」
 
「とぼけるな!」
 軍刀の先がラドムの首筋を穿っていなければ、つかみかからん勢いだ。
「武器庫を爆撃して、みんなを殺しただろ!」
 
「何の話してるのさッ!」
 理不尽な疑いを向けられたというようにHは顔をしかめる。
「ボク知らないよ。武器商人はともかく、他のヤツなんてどうでもいいよ。ボクの部隊(277)だって関係ないよ」
 
「──何の話だ? 277?」
 
 アミの声が緊張で低くなるのが分かった。
 得た情報をどう整理して良いか分からず、恐らく頭の中は大混乱を来しているのだろう。
 
「何でモン・サン=ミシェルに《武器庫》があるって知ってる?」
 
 彼女に代わってHを責めるその声は、軍刀に縫いつけられるように地面に横たわったラドムのものであった。
敵が手首を返すだけで細い首は簡単に貫かれるだろう状況で、声は震えている。

 足元の虫を一瞥する目で少年を見下ろし、Hはあっさりと吐いた。
 
「いろいろリークしてくれるヤツがいるんだよ。組織ってのはだいたい一枚岩じゃないもんだよね。身近なところにどんな裏切り者がいるかしれやしないんだ」
 
「裏切り者……?」
 
 いけない。アミが動揺している。
 
「リークって誰からだよ?」
 
 ラドムの問いは、むしろアミを落ち着かせたいがための声色だった。
 
「知らないよ」
 
 面倒臭そうにHは答える。
 
「武器職人のユージン・ストナーか?」
 
「だから、知らないって」
 
 さすがに核心を答える意思はないようだ。
 ラドムは黙ることにする。
 しかしこの男、色々手掛かりは与えてくれた。
 
「……シュタイヤーという男を知ってるか?」
 
 唐突過ぎる質問は、今度はアミのものだった。
 その声は微かに震えている。

「だ・か・ら、ボクは何も知らないッて!」
 
 Hの口調は変わらない。
 人を小馬鹿にしたようなその調子に、アミも声を張りあげる。
 
「な、何か隠してるだろ!」
 
 Hの軍刀。
 人質同然のラドム。
 すぐそばに転がる銃すら無視して、彼女は男の長身に迫った。
 胸倉をつかみ、締め上げる。
 
「ちょっ、何す……アンタ、暗殺者(メルダー)なんて繊細なものじゃないよッ。ただのバカな破壊者だ!」
 
「うるさいっ!」
 
 顔を真っ赤にしてアミは左手でその首をわしづかむが、如何せん不自由な身体だ。
 がら空きの脇めがけて軍刀を握ったHの手首が閃いた。
 アミの反射神経をもってしても、その攻撃をかわすことは不可能だ。
 
 ──アミがやられる!
 
 無我夢中で手足をバタつかせるラドム。
 
 その瞬間、鼓膜を破らんばかりの爆音が周囲を揺るがせた。
 アミは棒立ちになり、フランキは充血した双眸を見開いて唇をわななかせる。
 何か言いかけたのだろう。
 しかし喉から漏れたのは、

速い呼吸と喘ぎ声だけ。
 
「脳ミソが回転する……」
 
 意味不明な呟きを残し、その場にカクリと膝をつく。

 Hの長身がグラリと揺らぐ。
 睨みすえた先にいたのは、サーベルで脅して地面に張りつけた筈の少年であった。
 
 赤の視線を受け止め、ラドムは紫の眼球を震わせる。
 横たわったまま両手に握り締めていたのはHの銃だ。
 白い煙がたなびく銃口は、今尚ドイツ兵に向けられていた。
 
 少年の顔が大きく歪む。
 無論、銃を撃ったのは初めてだ。
 手首に直にきた反動(コレイル)に腕全体が痺れている。
 
 熱をもった銃(それ)を投げ捨てて、ラドムはバネのように跳ね起きた。
 刃先で裂かれた肌から血液が舞うが、痛みは感じない。
 
「アミ!」
 
 その声に、少女も我に返ったようだ。
 
「に、逃げるぞ。ラドム!」
 
 一本しかない手で少年の腕をつかむと、引きずるように廃墟の中に駆け込んでいく。
 二人の姿を見送りながら、Hはヨロヨロと上体を起こした。
 
「お、おどろいた。あの小僧ッ! 二度までこのボクを……」
 
 銃声を間近で聞いたときは一瞬、死を意識したものだが、しょせん素人の子供に射撃の技量なんてない。銃弾は彼に掠りもしていなかった。
 
 ただ飛来するそれがこめかみをかすめ、軽い脳震盪を起こしたようだ。
 まだ頭がフラフラする。
 毒草の影響がなければ、こんな醜態を晒すこともなかったろう。
 
 返すがえすも、あの小僧が憎らしい。
 脅すつもりで刃を突きつけたのだが、ひとおもいに抉ってやれば良かった。

「フン、逃げるがいいさ」
 建物の影に隠れたか、姿の見えなくなった二人に向けて小さく呟く。
「ワナはとっくに張ってんだから」
 
 事前準備は陣地戦に不可欠のものである。
 こんな廃墟に逃げこんだ時点で、ヤツらの敗北は決まっていたのだ。
 
 罠に向かって逃げこむ獲物を想像しながらHは立ち上がった。
 足元の銃を拾いあげる。
 少年が泡を食って落とした姿を思い出すと、ニヤリと笑みがこみあげてきた。
 すぐに熱を持つ、あまり良い銃ではない。
 
「だから軍刀(コイツ)のがスキなんだよね」
 愛刀への思いを再認識したものの、今はそんなコトを言ってる場合ではない。
「今度こそ《鋼鉄の暗殺者》の息の根を止めてやる……」
 
 手の中の銃の重みを確かめながら、Hは口元を歪めた。
 
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