ノリと限界のモロッコ・マラケシュ旅行③:マラケシュの観光客となる
kdkです。
2023年6月にモロッコ・マラケシュへ旅行してきた記録を書きます。かなり上がり下がりのある旅行になりましたが、モロッコが悪いのではなく、あくまで私の準備不足で理解が足りていなかっただけですので悪しからず。
こういった事情で楽しいだけの記録じゃないですが、よければ読んでいってください。
前回の記録はここから。
YSL美術館へ
マラケシュはイブ・サンローサンが虜になった場所だったんだそう。「マヨルカ庭園」というサンローランがこよなく愛した庭園がある。川が干上がっているマラケシュで、優雅な緑が漂う場所。今回は行けなかったのだけどいつかは行ってみたい。
そんな庭園の隣にはイブ・サンローサン美術館がある。イメコンが好きな人間の端くれとして行ってみることにした。単純に興味があったんだと思う。「イメコンが好きな人間だから」とかいう理由をわざわざ持ち出すのはわたしの悪い癖である。
展示はデッサンからオートクチュールのドレスまで。展示の写真は撮れなかった乗っだけど、モロッコのカフタンから着想を得たデザインもあってとても素敵だった。
イブ・サンローラン自身がモロッコの人が着るような薄手の綿の服を着ながら仕事をしている写真も残っていた。
舞台衣装を作った話が上映されていた。そのデッサンも素敵だった。あと額縁の並べ方も可愛かった。
YSL美術館のあたりは完全に観光客しかおらず不思議な感じだったけど、それはそれは美しい地域だった。
お気に入りのお妃様の名前がついた宮殿へ
そのあとはバヒア宮殿へ。
「バヒア」というのは4人いたお妃様の中でもお気に入りだった第3妃の名前なんだそう。愛といえば愛だけど、なぜそんなお戯を。独特のネーミングセンスだ。いや、私がそう思うだけなのか…?
今のモロッコでは夫人の中で格差をつけないのがマナーらしく妾というよりは第二夫人だし、第一夫人に車を買ったら第二夫人にも車を買わなければならないんだとか。「一夫多妻をできる人」には経済的に限りがあるとかないとか。
そんな話を聞いたあとだったで、余計「バヒア宮殿」という名前の由来に驚いた記憶がある。ちなみに4人のお妃様は一緒にこの宮殿に住んでいたんだそう。そりゃあ広いけどさ。ようやるわ。アジアでもある話だもんね。人間って面白いね。歴史を知ったらもっと楽しめるんだろうな。
ただ「バヒア」は「光輝く」という意味らしいので、そこだけを見るとちゃんと縁起がいいのかもしれない。
実際、光輝くような豪華絢爛な宮殿だった。イスラム建築は繊細で本当に美しい。
白を基調とした建物に散りばめられたタイルがかわいい。よくこんな細かいものが設計できるなと思いながら見学した。
当時の室内の再現もされていた。銀食器はマラケシュの定番。ミントティーを入れて飲んでいるところは今でも普通に見ることができる。日本で言うと箸とか急須とかのイメージに近いのかもしれない。
他に比べて質素な場所だと思ったら、ここはお仕えの人のスペースらしい。ベージュを落ち着いた色だと感じるのは世界共通なのかな。
庭のような場所も優雅。これだけ植物を育てられるっていうのも富の象徴だったんだろうなと思いを馳せたりした。
建物は残っているのに、家具などがあまり残っていないのが不思議だったんだけど、どうやら植民地時代にフランスが持っていってしまったらしい。
というのをフランス人から冗談っぽいトーンで聞き、複雑な気分になってしまった。ただ今思えば、世界的には日本も植民地を持っていた側の国なんだよね。私の仕事も当時の人にとっては悪い側面が強かったと思うし。自覚を持とう、と学びを得たのでした。
スークを散策する
そこからはまたアラブ版商店街を散策した。
アクセサリー通りや金属通り、衣装関係の通りなど様々。落ち着いているときに見るスークは楽しかった。
ここはおそらくカフタンというワンピースのような民族衣装の装飾に関係する通り。カフタンは普段着でもあり冠婚葬祭にも着るらしい。着物みたいな感じなんだろうね。今でも着ている人が多かったので、着物よりももうちょっと現代に残っている文化なんだろうけど。
スパイス屋さんは基本三角に陳列。ここは固定の値段で売っているみたい。
40度近くだしすごい暑いのにマラケシュには汗すら書いていない馬車がたくさんいた。馬は大きくて綺麗で、いつ見ても幸せな気分になる。
マラケシュのスーパー
大型スーパーにも立ち寄った。現地の人向けというよりは、観光客やマラケシュの富裕層向けのような雰囲気。だいぶヨーロッパに近い雰囲気のスーパーだった。
このスーパーのアイスクリームの値段はフランスと対して変わらなかった。Mochiアイスも売っていた。
アボカドの飲むヨーグルトはクリーミーで普通においしかった。こってりを予想していたけど案外あっさりだった。
観光地を巡るのは、巡り方によっては上澄を救う作業にも似ているような気がする。いいとこどりというか、楽しいことばかりというか。楽しいことばっかりの方がいいはずなんだけど、「文化の全体像を知れない」「体験しきれない」という意味では少し物足りない気もする。あれだけ文化の違いに苦しんでいたのに不思議なものである。
何も知らずに飛び込むのと、勉強したことを体験するのとの違いだろうか。
次回、ラクダに乗った「ノリと限界のモロッコ・マラケシュ旅行④」へ続く。
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