ノリと限界のモロッコ・マラケシュ旅行②:カルチャーショックとその客観視まで
kdkです。
6月にモロッコ・マラケシュへ旅行してきたので、今更ですがその記録を書きます。かなり上がり下がりのある旅行になりました。途中から自分の持ち合わせた物差しでしか文化が見れなくなってしまいました。私の書き方が悪くても、それは決してモロッコが悪いのではなく、あくまで私の準備不足で理解ができていなかっただけですので悪しからず。
こういった事情で楽しいだけの記録じゃないですが、よければ読んでいってください。
4泊5日だったんですが、たぶんさっくり書き終わると思います。
①はここから。
愚痴と共に巡ったスーク
スークはアラブ版の商店街みたいなところ。
やっとなんとなくわかってきけど、モロッコはアフリカ大陸にあるけどアフリカというよりアラブの国らしい。本当に勉強不足である。
前回の記事にも書いた、ゲストハウスで出会った日本人の方と一緒にスークを巡ることになった。彼女もモロッコ人の家にお世話になっていて、同じようなもやもやを抱えていたらしい。
「そんなことある?」っていう出会いがあるのがゲストハウスに泊まるいいところだなとわたしは思う。
あまり現地ですることじゃないけど、ひたすら愚痴を言いながら何時間か歩いた。悪く言えば愚痴だけど、言い方を変えたらカルチャーショックだし、もうちょっというと「アラブの国」で「女」や「アジア人」として観光するの難しいねって話をしてた。
ありがたいけど必要以上にやたら心配されるし、あるいは必要以上に褒められるし、「こんにちは」「ありがとう」など声をかけられたり。常に「言及してもいい存在」として生活するのは心にくるものがある。(これはヨーロッパ圏に住んでいると常に少しずつ感じることなんだけどね)
交渉の文化に圧倒される
というわけで彼女とひたすらモヤモヤを話しながらスークを散歩。
「日本人!」「こんにちは!」「宮迫です!」など多種多様な声かけをされて、余裕がある時なら楽しかっただろうけど、ストレスでいっぱいの私は辟易としてしまった。西洋人には挨拶しないのにアジア人には挨拶してもいいと思う根底って何なんのだろうか。好ましくなかったけど、まあ現実といえば現実なんでしょう。致し方あるまい。
今思えば観光で成り立っている国だし、観光客に接客をするのは当たり前だし。仕方がない。むしろそれを楽しむべきだったすらある。
交渉の文化がある国なので買い物は基本交渉(値切り)しなければならない。が、私はこれが得意じゃないんだな。タッチアップですらソワソワするのに。
と思っていたら日本人の彼女が手伝ってくれて、コットンのスカーフをそこそこの値段(400円くらい?)で手に入れることができた。これを巻いておくと日よけになって良かった。現地の服は理にかなってる。
これはしょうもない旅行アドバイスだけど、変なナンパを避けるには薬指に適当な指輪を嵌めておくのが一番効く気がする。「あんたは結婚しちゃってるんか〜」って何回か言われた。宗教的に既婚者のステータスは強いようである。
交渉が苦手な人にはしんどい時もあるけど、使い方やものが作られた経緯を説明してくれるのは買い物というよりエンタメだなと今は思う。
この炙り出しのポストカードも実際に炙り出して見せてくれたのに感動して購入することにした。
青がインディゴ、薄い茶っぽいところがサフラン、焦茶がミントなんだと。炙り出てくるのはミントの部分で、炙ると砂漠にラクダが浮き出てくるのだ。材料がモロッコっぽいところもいい。
スークはなんとなくジャンルごとに区域があって、アメ横みたいな感じなのもしれない。
同年代の日本の人とまわっていていいなと思うのは、たくさん写真を撮ってくれるところ。ありがたい。思えばモロッコで撮った写真はわたし比すごく少ない。やっぱりいつか勉強して再チャレンジしよう。楽しめなかったのが悔しい。
このクトゥビナの塔はマラケシュの中心地。
2023年9月の地震でこの塔が揺れてるニュースを見て、マラケシュの人は不安だろうなと思った記憶がある。みんなこの塔があって当たり前の生活をしているし、待ち合わせ場所みたいだったし。スカイツリーがぐわんぐわん揺れてたら私も怖いだろうし。
旅行中、この写真を撮る頃には私のモヤモヤもイライラもやや落ち着いてきていて、もっとちゃんとモロッコの文化とか勉強してから来れば良かったなと後悔するようにはなっていた。溜まったモヤモヤは吐き出すのが一番である。
今でもちょっとほろ苦い思い出ではあるのだが、綺麗な記憶と嫌な思い出を切り離せるくらいには感情の整理をする能力が身についたようである。ありがとう、年月。
どうやらマラケシュは日が暮れてからが本番らしい
クトゥビアの塔からすぐのフナ広場へ。
フナ広場は「バケモノの子」の舞台となった広場。昼はこのくらい閑散としていた。
なんせ日陰もなくて暑い。スークの方が建物の影があるので幾分かましである。
「Café glacier」というカフェの2階のテラスに上がって、陽が落ちる頃に行って素敵な景色を眺めることにした。飲み物を買うとテラスに入れるのだ。飲み物は200円くらいだった。
昼間が暑い分、モロッコの人にとっては夜が行動時間らしい。
日が暮れる頃には、広場はすでに活気にあふれていた。食べ物はもちろん、雑貨屋さんやコメディ演劇、ダンスや音楽までいろんなイベントの目白押し。賑やかでみんながこれを待っていたんだという雰囲気が伝わってくる。
娯楽が広場のコメディやダンスなんて素敵じゃないか!今なら感動できるぞ!!今なら!
マラケシュでボーッとする人間
私をマラケシュ旅行に誘ってくれた仏人の友人と合流する日。日本の友人に別れを告げ、合流前に「ベン・ユーセフ・マドラサ」へ。
イスラム建築は繊細で美しい。
「ベン・ユーセフ・マドラサ」はもともと神学校だったら。神様について学ぶ学校は豪華でなんだか独特な雰囲気がある。
合流までに時間があったので、しばらくここの施設内のベンチでポーッとしてた。今思うと優雅な時間の使い方である。
そこからカフェに移動してさらにボーッとしていた。「何してるんだろう」と思いながら、私にとっての楽しい旅行について考える時間になった。
観光地を効率的に巡るのが私の求める旅行なのか。
結局、私にとって価値のある旅行は効率的な旅行ではないようだった。
私にとって価値がある旅行は、自分で実際にその国・土地へ行って生活や文化を肌で感じながら、生活に基づいた、あるいはその生活に影響を与えたような建物や「観光地」を巡って、知識と経験で点と点を繋いでいくような旅行なのだと思う。
どうしてスークは複雑なのか。
どうして人は夜集まるのか。
教会と広場はどうして近いのか。
どうしてタジン鍋を使うことになったのか。
どうしてカフタンみたいな服が生まれたのか。
疑問を考え、答えを予想しながら、実際に答え合わせをしていく。この作業に喜びを覚えているようである。
もちろん、単純においしい食べものに感動している旅行もあるのだけども。
こんな内省をしているうちに合流の時間となった。友人と合流してからは細々言われたけど、もうここまで来ると「感覚が違うんだな」と割り切れるようになって来たのでオーライ。時には諦めも肝心。無心になることも心を守る方法である。
今思えば、国的な文化なのか、年齢なのか、経済状況なのか(友人は私と全てが違うので)、あるいは全てが原因で齟齬が生じたのか、未だに私にはわからない。ただおそらく心のどこかで「私がこうだから相手もこうだろう」という期待を抱いてしまっていたのだと思う。
他人に無理な期待するからこうなる。これは星の子の舞台挨拶の芦田愛菜ちゃんの言葉である。すごい。
相手に自分の理想を期待してしまうというのは、つまり自分の持ち合わせた物差しでものを見ているということでもあると思う。これを防ぐには手持ちの物差しを増やすか、物差しを使わないかの2択しかない。できれば私は物差しを増やす方向で生きていきたいので、これからも勉強していくしかないのである。勉強しよう、そうしよう。
次回、観光地を巡った「ノリと限界のモロッコ・マラケシュ旅行③」へ続く。
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