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ノリと限界のモロッコ・マラケシュ旅行①:カルチャーショックとその客観視まで

kdkです。

6月にモロッコ・マラケシュへ旅行してきたので、その記録を書きます。かなり上がり下がりのある旅行になりました。ので楽しいだけの記録じゃないですが、よければ読んでいってください。

4泊5日だったんですが、たぶんさっくり書き終わると思います。


旅行するに至った経緯

とあるきっかけで知り合った仏人マダムに「マラケシュの別荘でバカンスを過ごすんだけど、kdkも来ない?」と声をかけてもらいました。

最初は意味がわかんなかったんですが、どうやらそのマダムが私とは別の日本人の女の子をマラケシュに連れて行く予定だったらしく、そこに私のことを誘ってくれたみたいなのです。

そこにかなりノリで乗っかって、マラケシュにいくことにしました。本当にノリです。

とはいえ、私は仕事があったので、仏人マダムたちよりも2日早く前乗りすることに。その2日分の滞在は仏人マダムのモロッコのご友人の家にお世話になることになりました。

ここまでかなりノリで決めたんですが、一人旅じゃなくてかつ家族以外との外泊旅行がかなり久々くらいだったんですよ。もっと準備やりなんやりしておけばよかった…。

出国と入国

飛行機から見た目アジア人は0でした。でもまあキプロスもそうだったな。

飛行機の席はランダムだったんですが、行ってみたら目をキュルキュルさせたお兄さんが。

話を聞くと「家族と座りたいから席を変わってくれないか?」とのこと。特段こだわりもないので交代しました。

ただ交換したところが非常口(?)のところだったようで荷物がおけず。そんなこともあるんですね。知らなかったわ。

無事にマラケシュ着。列整理のスタッフさんに「中国人?韓国人?」と聞かれるなどしました。アジア人いないもんね。

で、入国管理。

名前とか職業とか滞在先とか質問されて、ちょっとアメリカみたいでした。ドギマギはしたけど無事入国。モロッコの入国スタンプは一番最後のページに押されるみたいなんですよ。面白いよね。

モロッコの人と合流

初日にお世話になるモロッコの人と合流!

名前カード持っておいてくれたので問題なく合流できました。手を繋いでタクシーを拾って市内へ。モロッコの人は手繋ぐのが主流なんかな?私の仏語レベルとお姉様の訛りでコミュニケーションはめちゃめちゃ難しかったです。

後で思ったけど名前も風貌も連絡先も聞いてなかったんですよね。ノリで生きすぎているよね。

まず一番大きな広場「フナ広場」に出て両替。それからご飯を食べました。タジン鍋。

美味しかった!写真はやたら赤いけど、トマトと卵のタジン。「洋風」な感じだったかな。

これは絶対減らないパン。どんどん増えるしお腹の中でも膨らむパン。絶対食べすぎてはいけない魔のパン。

それからアボカドジュースも飲みました。オレンジミックスで爽やかな感じ。バナナジュースとかよりもったりしてなくて美味しい!

値切り忘れつつもカフタンを買う

モロッコの人といたら安く買えるだろうみたいに思ってたんですが、そうでもなかったです。(笑)

「値切る」という行為が楽しいものだと気づくには経験が浅かったので良いねで買ってしまい、このカフタンは200dh。日本円で2500円くらいかな?」

たぶん50dh(700円くらい)で買えたと思うんですよね〜〜〜〜。実際もうちょい夏向けのカフタンは25dhで売ってた(笑)

まあ映えたからいっか!引きずるタイプの性格だけど!!過去は過去ね!!!

お店で写真撮ってFMしてたら笑われました。緑はちょっと違ったので回避。

フナ広場

ここは「バケモンの子」の舞台になった場所らしいんですよ。

昼間は人がいなくてすんって感じでした。

この後バスに乗ってタクシー拾ってモロッコ人のお姉さんの家へ。

カルチャーショックなのか、ジェネレーションギャップなのか

団地みたいなところに住んでいるようで、そこにお世話になりました。

ありがたいけど年齢的にも祖母を思い出す感じで、ベッド貸してくれるけどソファで寝かせるのはなんか申し訳なくて、wifiもないし、言葉も伝わらないし、翻訳機も使えないし、旅行に来ているのに18時に何しているんだろう?と思ってず〜〜〜〜んとしてしまいました。

紹介してくれた仏人に「wifiがないのは当たり前でしょ」って言われて初めて、「嗚呼、私はwifiがあって当たり前の世代に生まれてたんだな」と感じました。

wifiないと人に連絡が取れないし、外国でインターネットがなくて大丈夫なことって珍しくないですか?死んだら終わりというか。

で、カルチャーショックのスイッチが入ってしまったのか、こっからは嫌な驚き方ばかりしてしまってですね。

モロッコ人のお姉さんはその人なりのおもてなしをしてくれているのはわかるんだけどしんどくて。

「もっと食べな」と言われるのが若干トラウマになり、食べすぎで胃を壊しました。(本当にパンを無限にすすめられる)

色々重なってず〜〜〜〜んっとしてしまいました。

「インターネットが使えないだけで?」とか
「仏語が伝わらないだけで?」とか
「パン勧められただけで?」とか

色々思うかと思うんですが、塵も積もればなんとやらでした。何で無理になるかわかんないね。

今振り返ると、旅行スタイルと文化への勉強不足が仇となったんですねえ。現地の人と生活するのはただの旅行とは違うもんね。あとは自分の生活から削れないものがわかってなかったみたいです。

人の紹介だから無碍にもできないし、それが余計自分の首を絞めるというか。私が求めていたのは、ある程度自由のきく旅行なんだな、と。

で、「そうだこれは私の旅行だ。楽しくしよう。次の日は宿泊先を変えよう」と心に決めました。

案の定仏人の友人とモロッコ姉さんとちょい(いやかなり?)揉めまして、のちに仏の引っ越し先までなくなったのですが(これはまた別の話)無理なものは無理だったので変えました。いいのか悪いのかわかんないけど(というかどっちの側面もあるけど)、ストレスの原因からすぐ抜け出せた行動力は褒めてあげたい。

人間っていうか自分がいまだに難しいです。もう今後は安易なコネで安易な旅行はしない。しそうだったら止めてください。

宿泊先探し

翌日。

「自分で探せる」といっても伝わらないのがモロッコ(サンプルは1つなので主語が大きい)。

モロッコのお姉様がホテルを足で探してくれるんですが、明らかに自分で探した方が早くてイライラしてしまい、普段あまりイライラしないようにしているので自分でもコントロールが効かず本当によくわからない感情の中、38度の太陽の下を歩いていました。

「せっかく探してくれたのにさ〜〜〜」みたいなことを仏人の友人に言われましたが、私は頼んでないんですよ…。(そういうのは通じなんだねえ)(頼まれてなくてもするのが人間関係なのだろうか…)(そうなんだろうな…)(私にはお節介とは親切の違いがわからない)

最終的に強硬手段でゲストハウスを予約しチェックイン。

モロッコのお姉様とはここでお別れしました。(のちにまた会うのですが)

このお姉様は悪い人ではなくむしろ良い人で、ただただ私とは違う価値観を持ってらしただけなんですが、難しいですね。(この時はもう誰とも関わりたくないと思ってしまっていました。)

が、その矢先。ゲストハウスで日本人の女の子と出会い一緒に観光することに。

というのも彼女もモロッコ人の家にお世話になっていて、同じようなもやもやを抱えていたみたいなんですよ。

そんな奇跡ある?

この後彼女と観光できたのは、マラケシュ旅行の楽しかった記憶として強く残っています。

というわけで2日目朝まではバタバタしていてやたら写真が少ないのですが、のちに増えますので…。

次回、楽しく観光する「ノリと限界のモロッコ・マラケシュ旅行②」へ続く。

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