空手道部の思い出

空手に出会ったのは大学生の時。

色々な部活やサークルから勧誘されたし、見ても回ったけど「サークルのウェーイ(当時は無い言葉)は、なんか違うなぁ」と思っていた。もともと運動神経は悪く、しかも団体競技に向いてない性格なのは分かっていた。それに中学生、高校生と真面目に部活に取り組んだことは無かった。「最後の学生生活くらい、部活をやってみたい」そんな思いがあった。

球技には興味が無かったけど、格闘技には興味があった。当時はK-1とかが全盛期でもあったし。空手に決めたのは部活の居心地が良かったから。部員数は40人くらい。イメージに反して女子の方が多かった。同期は16人いたけど、男5人に対して女11人。これには理由がある。

空手は2つのタイプに分かれる。伝統派とフルコンタクト派だ。伝統派は「型」を重視し、フルコンは「組手」を重視する。世間で認知されているのは、極真空手に代表されるフルコン派だ。

ここで豆知識を一つ。空手の源流は中国拳法と言われている。それが琉球(沖縄)に伝わり、大正時代に本土にもたらされ「空手」となった。空手の開祖が船越義珍という人物。その空手の流派は松濤會(しょうとうかい)だ。そこから空手は様々な流派に派生されていく。そして戦後に大山倍達が極真流を始め、空手は伝統派とフルコン派の大きく2つに分かれるようになった。

空手と柔道で大きく異なるのが、この流派の数だ。柔道の流派は講道館のみ。対して空手の流派数は膨大。柔道が長らくオリンピックの種目になっているのは、流派(ルール)が一つなのが理由だ。空手は流派がありすぎて、統一することができない。東京オリンピックでは種目として採用されたものの、1回限りの採用になると思っている。

話を戻すと、うちの大学の空手は松濤會。つまり伝統派空手だった。ボコボコに殴り合うことはしないので、女子率が高かったんだろう。それまでスポーツ経験ほぼゼロだったが、4年間打ち込んだ思い出を語りたい。

正式な部活だけあって、稽古は月曜~土曜日の週6日。夏休みなどの長期休み以外は部活する日々(長期休みには地獄の合宿がある)。稽古時間は1日3時間。最初の一時間は筋トレと柔軟運動、次の一時間は突き・蹴り・受けの反復訓練、最後の一時間は型の稽古となる。

キツかったのは筋トレだった。上半身以上に下半身を鍛える稽古がメインだった。21世紀にもかかわらず、うさぎ跳びを平気でやっていた。スクワットも常人では不可能な回数を繰り返す。入部したての頃は全くついていくことができず、まともに歩けないほどの筋肉痛が襲ってきた。

人間の凄いところは、慣れていくこと。しばらく経った頃には回数をこなすことができるようになった。いつしかスクワットも連続1,000回できるようになった。1,000回は約30分、延々とスクワットすることを意味する。今考えると、自分でも引くわ。

この経験は就活で役に立った。面接で「スクワット1,000回できます」と言うと、面接官は大体驚く。ぽっちゃりしてた体は無駄な脂肪が落とされ筋肉と化していった。特に太腿の筋肉量が凄くて、ジーンズはウェストじゃなく、太腿が入るかどうかで決めなければならなかった。

試合形式の組手は無かったが、約束一本組手というものはあった。これは二人一組となって、一方が腹への突きを行い、もう一方が下段払いで受けるというもの。「いつだって全力!」がモットーであった若かりし時だったので、相手が女であろうと全力でぶち込んだ。

基本の型として、大極初段(たいきょくしょだん)というものがある。追い突きと下段払いで構成されるこの型を何千回繰り返したか分からない。夏合宿で大極初段を師範が「やめ!」と言うまで延々とやらされたことがある。「いつまで続くか分からない」というのは精神的にキツイ…。沈み込んだ態勢のままなので、足はガクガク。滝のように汗が流れた。

そんな半分宗教じみた部活だったが、文化祭などで見せ場とするイベントがある。型の披露(演武)と試割りだ。試割りは瓦・板・バット・果ては野菜まで破壊していく(とんでもない行為だ)。

大学3年生の時、「ブロックを割る」という大役に立候補したことがある。この硬度になると肘で割るのが通例だが、「正拳でぶち抜くッ!」と謎の闘志を宿していた。肘で割ると見せかけ、拳をブロックに叩き込んだ。しかし現実は厳しい。割れないのだ。もう一度正拳を打ち込む。割れない。周りがざわついてくる。「ヤバい」という焦り。急遽方針を変更して肘を打ち込んだ。なんとか割ることができた。

全力で正拳を打ち込んだ代償として、右手の人差し指と中指の付け根(正拳を当てるとこ)が倍くらいに膨らんだ。医者に行くとその部分に亀裂が入ったらしい。何故か医者が「写真を撮っていいか?」と聞いてくる。「珍しい症例なんだ。症例名をボクサーズナックルと言ってね。拳を壊しやすいボクサーにちなんだ名前だよ」と医者。怪我をしたというのに、「ボクサーズナックル?なにそれ、カッコイイ!」と喜んでいた自分。「俺、ボクサーズナックルになっちゃてさー」と触れ回ったのは言うまでもない。

思い返すと、キツイことやアホなことばかりだ。空手して、部室に入り浸って、酒を飲んで、吐いた。でもあの日々を後悔してはいない。単位はギリギリだったけど、黒帯は取れた。ろくに勉強もしない大学生活だったけど、空手に捧げた時間は青春だった。

何か一つのことを打ち込む。それは素晴らしいことだと思う。

#エッセイ #空手 #部活の思い出 #大学時代

この記事が参加している募集

宇宙旅行が夢の一つなので、サポート代は将来の宇宙旅行用に積み立てます。それを記事にするのも面白そうですねー。