田舎の看護師 わたしの徒然草

田舎で看護師をして11年目。 なんだか物足りなくて 何をすれば満足度の高い日常を送れるのか考えた。 看護師という仕事が大好き。 患者さんやそれを取り巻く人たちの力になりたい。 やる気や希望を見失ってしまっている看護師さんの力になりたい。 そうして、ここに思い辿りついた。

田舎の看護師 わたしの徒然草

田舎で看護師をして11年目。 なんだか物足りなくて 何をすれば満足度の高い日常を送れるのか考えた。 看護師という仕事が大好き。 患者さんやそれを取り巻く人たちの力になりたい。 やる気や希望を見失ってしまっている看護師さんの力になりたい。 そうして、ここに思い辿りついた。

最近の記事

感謝の日々

4ヶ月の休職を経て、 3月から仕事復帰しました。 と言っても、 夜勤なしで平日の日勤3〜4日程度のゆるい勤務。 昨年末に顕微受精で胚盤胞まで育ってくれた たった一つのたまごを移植してもらい、 奇跡的にお腹にしがみついてくれました。 年が明けて妊娠判定を受け、 あと2週で妊娠6ヶ月を迎えるところです。 昨年11月から思い切って仕事を休職し、 医療の力をたっぷり使わせてもらっての念願の妊娠。 つわりさえ愛おしい日々を送っていました。 こんな日々がきてくれたことに、 ただた

    • 私が謝る相手

      休職してから2ヶ月が過ぎた。 病院は今日が仕事納め。 休職してからの現状報告を兼ねて、年末の挨拶に さっき職場に顔を出した。 色んな人に迷惑をかけて 大変なご時世に仕事を休ませてもらっている現状に情けなさでいっぱいで とにかく 「ご迷惑をおかけしてすみません」と 詰所にいた数人に声をかけて。 その中には仕事人間の先生(医者)もいた。 「なんもなんも、僕は何も。それは患者さんにだよ。」と 思いがけない言葉が先生から返ってきてハッとした。 そうだった。 私が対象としている

      • 監察医 朝顔

        毎回放送のたびに泣いてしまう監察医朝顔。 昨日もポロリ。 何がいいって、 朝顔の仕事に対する熱意。 自分の仕事に誇りを持って ひとりひとりのご遺体と向き合う姿にいつも心を奪われる。 私の祖母も死後に解剖をされた。 遺族の1人として思う。 解剖ってとっても遺族にとって残酷である行為。 そして、祖母が亡くなった当時、 地元には解剖のための施設がなく、何時間もかかる地方に連れて行かれ、 亡くなったあとに一緒に居られない時間が長くあることがとにかく虚しかったのを覚えてる。

        • 若者のパワー

          若者と言えば、 とっても失礼な言い方かもしれないけど、 ここで私が書く若者と言うのは 「後輩」って感じかな。 今の職場は新卒看護師さんの入職はなく、ある程度どこかで働いてきた人が入職してくる感じの病院。 必然的に年齢層は高くなり、 もちろん私はしたっぱ。 入職した時に感じたのが 前の職場とのパワーの違い。 気付いたのは 新人指導って大変なことだけど、 私にとってはいい時間だったのかもなってことだった。 指導が好きだったわけではなくて、 むしろ苦手。 だけど、新人さん

          エンディングプランを持った患者さんとの別れ

          人は必ず最期を迎える。 そして、 人の最期を家族でも友人でもないのに関わらせてもらっていることは決して当たり前じゃない。 どんな最期を過ごすか 人それぞれ。 もちろん不慮の事故で突然のお別れとなること、急変で救えなかった命との別れもある。 いろんな方の最期に関わらせてもらってきた中でも、特に印象的だった患者さんの最期の時間を紹介したい。 病気を抱え入院してきたBさん。 延命治療は希望しないと、自分でエンディングプランをもってるBさん。 我慢強く、穏やかなBさん。 そん

          エンディングプランを持った患者さんとの別れ

          いまの自分

          あんまりネガティブなことは書きたくないけど、いまの自分の現状を分析のためにも書いてみる 私は看護師の仕事が好き 正直、今の職場は スタッフのモチベーションが低い 患者さんやご家族への対応も悪ければ スタッフ間での継続看護もできてない 自分がやりたい看護とは程遠いのが現状 今まで感じたことのないストレス そして私生活では結婚4年目の今も 子どもを授かれず不妊治療中 子どもを授かることが幸せの全てに結びつくとは思ってはいないけど 子どもが大好きでいつか自分もお母さん

          忘れられない患者さん

          これまで沢山の患者さんに出会ってきた。 いろんな患者さんがいて、 まさに十人十色。 病気の捉え方 治療に向かう姿勢 医療者に対する接し方も違う。 そして何より、 患者さんによって生活背景が全然違う。 なかでも、 〝私には看護師が向いてないのかも。             看護師を辞めたい〟 と思った患者さんとの出会いがある。 こんな感情になったのは、 この時が最初で最後。 ただその辞めたい感情はたった数日のこと。 周りのスタッフからの言葉で、 辞めたい感情は一瞬に

          はじめての看取り

          看護師2年目。 はじめて患者さんをお看取りした。 1年目は整形外科に勤務し、手術をして元気に退院していく患者さんとの関わりがほとんど。 患者さんをお看取りすることがなかった。 元気に笑顔で退院していく患者さんを見てやりがえさえ感じていた。 そんな私が外科の病棟に異動。 異動になった病棟には周手術期の患者さんもいたが、術後の化学療法や緩和ケアに移行した患者さんがたくさんいた。 最期の時間を過ごす患者さんやご家族との関わりを経験。 もちろん最期の前兆も未知。 どんな言葉をか

          わたしのこと

          北海道の田舎生まれ、田舎育ち。 高校を卒業し 親元から離れて看護学校に入学。 地元の病院からの奨学金制度を利用して 3年間看護学校に通い、 そのまま奨学金を借りた地元の病院に就職。 1年目は整形外科と眼科。 周手術期で元気になって退院される患者さんとの関わりがメイン。 2年目になると共に、病棟編成があり 外科と眼科、耳鼻科と泌尿器科の混合病棟に異動。 初めての看取り、初めての化学療法を経験。 戸惑いや自分自身の知識や技術の未熟さでいっぱいになったこともあった。 でもや

          どうして看護師を目指したの?

          『どうして看護師を目指したの??』 こんな質問をこれまで何度もされてきた。 看護学校の入学前面接 就職面接 就職してからは先輩や後輩から、 はたまた患者さんや自分の身近な友人などから。 私はそんな時 『人と関わる仕事、人を助ける仕事をしたかったから』 『なんのきっかけがあったのかわからないけど、幼稚園から高校卒業まで、ずっと卒園・卒業文集の将来の夢に看護師と書いていた』 と答える。 人と関わる仕事 人助けができる仕事 そんな仕事はいくらでもある。 その中でもどうして

          どうして看護師を目指したの?