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「大人になってしまったな」と感じる言葉

「いつまでも子供でいたい」

これは全大人が持っている共通の願いなのではないでしょうか。責任から逃れたい。あの頃は楽しかった。そのような思いをどこかに抱きながら仕事に向かう社会人は数多くいるのではないでしょうか。

「気持ちはいつまでも子供です」

これもよく聞くセリフです。大人になってしまったけれど子供のころのような純粋な気持ちは今でも持ち続けています、まで連なる、子供でいたい大人のセリフ。

私もこれまでは同じように思っていました。自分はまだまだ子供みたいなもので、大人にはなりきれていない。でもずっと子供のような純粋な思いを持ち続けている、と。

でもそれは、とうの昔にまやかしになっていたことに気づいていなかったのです。そのことにようやく気付いたのはささいな行為がきっかけでした。

それは高校生を見る時。特におちゃらけている学生を見た時の自分の感想に対して、「大人になってしまったな」と感じるのです。

「楽しそうだ」「かわいい」「青春だねえ」

そんな感想が漏れるようになってきたとき、自分はもう学生ではなく大人なんだとようやく実感できました。

それでも、初めてこの感想が湧いて来た時、自分では焦りのようなものも同時に湧き上がってきました。それはきっと、自分はまだ学生と同じ気持ちで生きていて、大人になり切れていない子供でありたいという想いがあったからだと今では思います。

大人になり切れない子供、でずっといたかった自分にとってこの感想はとても残酷なものに思えました。子供ではない、かと言って大人になりきれたわけではない。そんな自分への最後通告のように感じ、些細な感情を大きな劣等感に膨らませようとしたのです。

そんな劣等感はいつの間にか消え、今では純粋に「楽しそう」「かわいい」「青春だねえ」を受け入れています。なぜそうなれたのかは分かりません。今でも解決できていないままの劣等感が突如顕れ、再びやっかいな自己嫌悪に陥るのかもしれません。

だとしても、今こうして自分の感想を客観視できているのは素晴らしいことだと思います。学生時代の子供な自分も、大人になり切れない子供でいたい自分も、そんな些細なことを考えず純粋な思いを発信している自分も、全部大事なものだと気付くことができているのだから。

だからこそ、今の純粋な思いを大事にしたいと思います。これがサウナ後のととのい効果による一時の奇跡だったとしても、自分自身であることに変わりはないのですから。

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