はじまりの朝
食べたかったモーニングがない。
この事実だけで店を引き返しそうになるが、今日は違う。閉店する喫茶店に来ているからだ。
扉の前には提供されるモーニングの名前と、営業日のカレンダーが貼り出されていた。カレンダーはカウントダウン式にバツが付けられており、残すところ一日となった。
扉を開けると店内は賑わっていた。ほぼ満席の状態で、ひとりのホールスタッフが駆け回っている。今日で閉店ということもあり、カメラマンが店内の様子を撮影していた。
奥のテーブルに案内され、注文するメニューを熟考する。モーニングはおむすび、トースト、ホットドッグの三品だ。
私はおすすめメニューの卵ホットサンドを食べるつもりで家を出たが、そこになければないのである。
単品で注文するか一瞬迷ったが、今朝はバナナジュースしか胃に入れておらず、多品目のモーニングを食べたい気持ちが強まっていた。
三択のうち、ホットドッグを注文するまでは決まった。問題はコーヒーの種類だ。ホットかアイスか、さんざん悩んだ末にアイスを頼んだ。常連のオーラを纏っていた向かいのお爺さんがホットを注文していたので「ホットにすれば良かった……」と悔やんだりもした。勝手においしいコーヒーの飲み方を知っていると思ったからだ。
注文したホットドッグを待っていると、店内を撮影していたカメラマンが近くに現れ、私の右斜めに座っていた家族にインタビューをはじめた。
「どこからお越しになりましたか?」
「好きなメニューはなんですか?」
「今日で閉店ですが、今のお気持ちは?」
飲食店のテレビ取材で見かける様子を耳で追いながら、運ばれてきたホットドッグを食べた。バターとコショウの効いたパンと苦味のあるアイスコーヒーがよく合う。美味しい。
モーニングを堪能している傍らで、「カメラに映ったらどうしよう」という懸念にも襲われていた。
自意識過剰と捉えられても仕方ないのだが、今日に限ってすっぴんで来てしまったことや、そもそも"カメラに映りたくない"状態では、はじめからバッドコンディションなのだ。
そんな心境の中、向かいに座っていたお爺さんと隣のお爺さんがぞろぞろと帰ってしまい、かなり焦った。インタビューの対象が減るということは、インタビューされる確率が上がるからだ。
モヤモヤした気持ちでゆで卵を食べていると、「こちらにはよく来るんですか?」とカメラマンに声をかけられた。
ドッッッと跳ねた心拍数の音。
何か話さなければ、という憤りを抱えたまま、
「地元じゃないんですが来るのは2回目です。今日は最後なのでうんたらかんたら」と早口で答えた。カメラマンはそうなんですか、閉店するの寂しいですよね、と言い残しカメラを別の場所に移して去っていった。
構えていた自分が猛烈に恥ずかしくなる。氷で薄まったアイスコーヒーを飲んで気を紛らわせた。
平常心を保つために甘味を注文しようと思ったが、店内はさらに賑やかになり、ホールスタッフが慌ただしく駆け回っている。追加注文は難しいかもしれない。
別のテーブルに料理が置かれたタイミングで「あとで注文お願いします」と伝えたが、その声は届かなかった。飲食店のピーク時の忙しさは尋常ではない。最終日にモーニングを食べられただけでも良しとしよう。お冷を飲んで会計を済ませた。
「ありがとうございました」
「ごちそうさまです」
見慣れない私にうつむき加減で対応するオーナーだったが、手渡されたレシートには、冷たさを感じなかった。
地域に愛されている喫茶店はあたたかくて、居心地がいい。私たちが忘れない限り、この店は地元の人に愛され続けるのだろう。
地元から離れて三年目の夏。まだ行きつけの店や顔なじみの店があるわけではないが、輪の継ぎ目には入れたような気がした。
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