第138話 「上の空」
「オレさ、殺し屋に狙われているんだ」
昼間のファストフード店は騒がしかった。幼稚園帰りの親子連れが多くて、お揃いのスモックを着た子どもたちが、尻尾を踏んづけられた猫みたいな声でわー、きゃーと叫んでる。
飛行機のオモチャを掲げた一人が、ぶーんと言いながら、私たちのテーブルの横を通過して行った。
「何が、何に、何だって?」
「オレが、殺し屋に、狙われてる」
「ふーん。つまり、私は何の話を聞かされるんだ?」
「夢の話だね」
私は真顔のまま、ポテトを口に運ぶ。もぐもぐ。それからお茶を飲む。ちゅーちゅー。
私の前に座っているのは、半年ほど前に別れた元カレ、ナオキ。
久しぶりに会えないか?と言われて、多少、服装に気を遣って出掛けたのだが、入ったのは駅前のハンバーガーショップ。話し始めたのが夢の話。
この人は清々しいほどに成長がない。
「他人の夢の話って、ソーワットでリアクションとれないよねー」
「そう?オレはワクワクするけどなー」
「やっぱ変わってんね、ナオキは」
「そうかなー、普通だとおもうけど」と、ナオキは鳥の巣みたいにふかふかのドレッドヘアを掻く。
「別に褒めてねーよ」と毒づいてから、仕方がないので話題を繋いだ。
「それで、相手はどんな殺し屋なの?」
「あー、うんとね。姿は分からないよ。でも、恐ろしい男だってことは分かるんだ。あの声はプロの仕事人って感じだろうなー。渋い感じのさ。たぶん、俳優で言うと村瀬丈三とか、本村哲也とかの昭和のスターみたいな――」
ナオキの言葉が、左耳から入って右耳から抜け落ちていく。
外はいい天気。光があったかい。外のベンチで新聞を広げているおじさんに視線が留まる。おじさんの足元には犬がいる。犬種はパグだ。しわしわでかわいい。しわかわ。口は適当に言葉を紡ぐ。
「なんで狙われてんの?」
「それはね。オレが金を盗んだんだ。300万」
なぜかナオキは誇らしげな表情を浮かべた。意味不明。
「そしたら殺し屋から電話が掛かって来たんだよ。利子を含めて657万円、耳を揃えて返してください。それができなければ、どうなるかは想像できますね?」
「へー、やばいねー。でも、なんでそれだけで相手が殺し屋だって分かるの?」
「本人が名乗ったもん。どちらさまですか?って聞いたら、私は殺し屋ですってさ」
「へー、それはやばいねー。マジやばい。やばいやばい」
「そう、やばいんだよ。657万なんてどう考えても無理だし、もう盗んだ金も何でだかわかんないけど、残ってないんだよね。だから、オレはすぐ逃げなきゃじゃん?部屋から必要な物だけかき集めて飛び出したんだ」
「どこ逃げんの?」
「海」
気恥ずかしそうにナオキは言う。
「エリ、海好きだったじゃん」
「私?」
「うん」
「私、関係ないじゃん」
「いや、まあ……夢だから、いいじゃん」
ははーん、なるほど。
私が夢の中に出てきて、久しぶりに会いたくなったということね。
コイツもしや、まだ私のこと好きなのか?
「それでオレ、盗んだ金で船買ってさ、漁師になるんだよ。毎日、海に出てマグロとかアユとかたくさん釣って帰るんだ」
「お金ないんじゃないの?」
「多少は残ってるんだよ」
「アユは川魚だけどな」
「そっか、エリ頭いいよなー。見た目と違ってさ」
「うるせーな」
大人っぽい服着て来たのに、髪型も化粧も半年前とは違うのに。まったく、何も分かってない。
「そんでー?」と、投げやりに聞く。
「そんでね。陸に上がると、港でエリが迎えてくれるの。小さい子どもと手を繋いで立ってるんだ。オレたちの子ども、カワイイ男の子」
うわー、何それ。
もう完全に私のこと好きじゃん。
てか何これ。告白のつもりなのか?
ズルくないか?夢の話に混ぜ込むの……。
でも、うーん、どうしよう。
別に今付き合ってる人いないしなー。仕事ばっかでトキメキない暮らししてるし。
ナオキ、バカで将来性ない。
きっと一生ゼロ成長だけど。
それが嫌になって別れたわけだけど。
離れてみてわかる。
心根は悪い奴じゃないんだよなー。
などと考えながら、私は複雑な心中を悟られぬよう、表情はニュートラルに入れて、思いつきを適当に言う。
「昭和の殺し屋はどこ行ったの?私たち逃げられたんだ?」
「うん。大丈夫。必ず逃げ切れるから」
「へー」
と一旦頷いたが、違和感が口を衝いて出る。
「『必ず逃げ切れるから』?」
「うん。必ず逃げ切れるよ」
首が傾ぐ。
「あれ、ゴメン。話を見失ったかも。今、ナオキは何の話をしているんだっけ?」
「えー、何でだよ!こんな長く話してたのに、上の空で聞いてたの?さっきも言ったじゃんかー」
ナオキは不貞腐れて、オレンジジュースのストローをぶくぶくと吹いた。
あとがき
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