カイロは貼ってこそ温かい
別に書くのが好きだから書いて仕事してるわけじゃない。じゃあなんなんだって言われても、特に説明はできないんだけども……。
うまく言えないときはたとえてみる。
温かくするのが仕事だったら寒い環境がいい。エジプトのカインズホーム的なホームセンターでホカロンは売ってないだろう。カイロだけに。
逆も然り。チリの南の先っぽでかき氷屋は儲からない。
それと同じく、ぼくは文章を書いてコンテンツをつくるとビジネスになる環境にいた。具体的には制作会社に勤務していた。お金を稼ぐ手法を考えていたら制作会社にたどり着いたのだ。
その前は喫茶店に勤務してた。
なんか真逆。
会社から給料をたくさんもらうには、文章力や制作力を磨いて良質なコンテンツを制作して伝えるべき人に伝える。その結果と数を求められた。
仕事と習慣が身についたから、今もこうして制作してお金を稼いでいる。海賊王におれはなる的な強い意志は特になかった。
せっかくなので制作の話を少ししてみる。
何が? なぜ? How? など、取材では対象者の根拠や原体験を探す旅に出る。対象者と一緒に。こちらが先回りして発掘するのもいいが、対象者が「そういえば自分は……」と考え出すほうがいい。制作業界で呼ばれる、発掘あるある大辞典理論がこれだ。
うそだ。そんな理論はない。
「知らなかった私」の話は「知っている私」の話よりもおもしろい。分水嶺のあっちかこっちかわからないけれど、話は意志を持って斜面を気持ちよく滑っていく。
一度速度がついたらもう止まらない。ジーンズの片方に右足を入れたら、もう片方には左足を入れるしかないのだ。何か言っているようで何も言ってないことを言ってみた。
ジーンズ1本作るために約1万リットルの水を使うと知ってからジーンズを買ってない。ひとりが飲む水量約10年分だという。もちろん、ジーンズが槍玉に上がってるだけで、ぼくが着ているほかの衣類もそんなもんなのだろう。
検挙率が高いのは違反が多いからか。はたまた取り調べるようになったからか。
話にまとまりがなくなっている。そんな自分に絶望しないでほしい。「知らなかった私」が表面に出始めている証拠だ。たぶんぼくはいま、取り戻せない過去と肯定も否定もしない現在について考えたいのだ。もう少し逝ってよし。
高校生までは24歳の自分に憧れた。大学生になると22歳の自分が不安になり、河原で月に逃げた。22では17の自分を懐古し、24からは翌年を考えなくなった。
30歳でドミノが崩れ、気づけば高校生の倍を生きた。あんな大人にゃなりたかねぇと思っていたが、こんな大人になっている。理想とする髪型に一度もなったことがないと考えていた高校生×2=現在である。
いや、毛が減ってる分マイナスだ。数学は時に情があり、国語は常に理論がある。
書いた文章をGoogleドライブにためるぼくに対して「なぜ?」を問う。ガールの欲望にゴールはなくて、ガールのゴールはセールにあるが、ボーイのボールはゴールをコールする。
確かに見た見えないモノを、見えないモノで見えないままつかみたい。実態はないけれど、確かに感じた温もり。
そうか、なるほど。
そういえば自分は……貼るカイロを使ったことがない。
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