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てぃーんずぶるーす

わたしの故郷、広島市出身の
原田真二さん


原田真二さんといえばこの曲
『てぃーんずぶるーす』
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父の転勤先で中高一貫校に入ったので高校受験は意識していなかったが、再び父の転勤で、中3で地元広島に戻って来た。 

急遽、受験勉強をして、父も叔父も叔母も、いとこたちも学んだ最寄りの公立高校に入った。

ここで最初に仲良くなったのが、
Aさん。

わたしのイニシャルもAだったので出席番号は1番違い。
自然と口を利くようになった。


原爆が落ちて焼け野原になった広島にバラックが建った。
現在の中区基町あたりは中心部にも近く、立地がいいものの、木造住宅が密集していて、しょっちゅう火事になることで有名だった。
通称原爆スラムと呼ばれる地区もあった。

そこを壊して目を瞠るような高層の市営住宅群が完成したのは1978年。
昭和53年のこと。

Aさんの住まいはその高層アパート。
ご両親は住宅内の商店街でお店を営んでいた。

子どもの頃から珠算を習っていて、教室では師範代として子どもたちを指導しているという話だった。
今考えるとアルバイトだったのだろう。

数学の因数分解などは得意中の得意で、図形を除けば、テストで満点に近い点数を取っていたと思う。

バレー部で、スポーツ万能。
校内マラソン大会でも上位の成績だった。

大学、短大、専門学校と、進学する生徒が多い中、彼女は最初からその気はないようだった。

なかなかの美人でもあった。
クラスも替わって、互いに友人関係も変わっていった。

卒業間際に、超エリート集団の、今は名前を変えた銀行に就職が決まったと聞いた。

すっかり疎遠になっていて、おめでとうという機会もなかった。

高一の頃、彼女が夢中になっていたのが原田真二さんだった。

アイドルのような風貌のシンガーソングライターで現役大学生。
一世を風靡した。
デビュー直後からベスト10に3曲が同時に入ったりする人気ぶりだった。

彼女にLP盤を借りたことがあった。

レコードは買わなかったけれど、
わたしも原田真二が好きだった。