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程よいディスタンス

人と人との距離の取り方がわからない。

スーパーのレジに並ぶときには、
床に貼られたテープが目印になる。

いやいや
そのディスタンスじゃない。


わたしがわからないのは、
心理的な距離の取り方のことだ。

人と人とは
いつからどの程度
馴れ馴れしくすべきなのか。
このまま
よそよそしいままでいくのか。

恐る恐る
相手の顔色を伺いながら
距離を詰めていくのがいいのか。

無邪気な顔して
一気に垣根を取っ払うのがいいのか。


そのあたりの
微妙な匙加減みたいなものが
測れないから
取り敢えず主導権は相手に渡す。


例えば

下の名前で呼んでいいよと言われたら
ぐっと距離が縮まったと感じる。

しかし、嬉しいかどうかは
相手次第だ。

近寄られると、正直逃げ出したくなる相手もいる。
それは相手も同じこと。
だから難しい。

お互いの気持ちがぴたりと一致して
一気に距離が縮まるのが理想的だ。

一旦縮まったからといって
また離れていくこともある。

仕方がない。
人の心は移ろいやすいものだ。

ディスタンスは
常に一定ではない。

また、

親しき仲にも礼儀あり、という。


家族でも友人でも
ディスタンスが0というのはよろしくない。

付かず離れず

お互いの気持ちを確かめながら
最適な距離を探っていく。

これが長続きのコツだ。

さっきから
あーでもない
こーでもないと

いったい何が言いたいのか
自分でも些か混乱していますが、

SNS初心者のわたしは
はたと立ちすくみ
顔も名前も知らない人との
ディスタンスについて
考えます。

毎日記事を読んでいると
勝手に友達気分になってしまうのです。

違う違う。

勘違いも甚だしい。

図々しい人だと思われてしまう。

それどころか
危ない人だと
思われたらどうしよう。

コメントを書く手が止まる。

でも、やっぱり
ちょっとぐらいは
親しくなりたい。

ここでお会いしたのも
何かの縁だから。

寧ろ、身内にも言えないことを
吐露してみたり

顔が見えない相手のほうが
素直になれる場合もある。


ここでは現実社会とは別人格に
なりすますこともできる。

ありのままの自分のような
演じているような

この不思議な距離感を
楽しむことだってできる。

自分が心地よいと思えるディスタンスを保てばいい。

自分の人生は
自分が主役だから。

そんなことを
あれこれ考えながら

今日もnoteを投稿します。

皆さんさえよろしければ

これからも
細く長ーーーく
お付き合いください。