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「運命」ってやつを~

人生には目に見えない流れのようなものがあるように思う。それはいいかえれば、「運命」というのかもしれない。「人生は神様のレシピで決まる」と私の好きな小説の中に書かれていた。きっとある、目に見えない糸が。その糸が私を、誰かを今の場所に連れて来てくれたのだ。そう思ったのは昨日ハローワークに行ってである。



仕事を辞めてから、二月はだらだら過ごそうという心づもりをしていたのだが、心づもりは簡単に破られた。仕事をしていない不安というのか、自分が何もしていないことが溜まらなく嫌に思えてしまったのだ。だから、だらだらするという心づもりは、一週間もたたずにどこかへ消えてしまった。



そんな心持ちに切り替わりそうな時に父が、辞めた私に気を遣ってか飯をご馳走してくれた。美味い豆腐料理を食べた。最近、和食に惹かれることが増えた。それは大人になった証拠だろうか、と考えている時点でまだまだ子供っぽい。その日は大した話もせずに別れたのだが、その日の晩に電話がかかってきた。今日の今日に何を電話することがあるんだと少しうんざりしていたのだが、父は私がぼんやりとではあるがやりたい仕事である図書館司書の求人をネットで見つけたことを私に報告してくれた。この時の求人では、パートタイムの求人のみだったので、私は「正規でないとな」とか云々話して電話を切った。しかし、頭の片隅に地元の図書館司書という願ってもない求人があることを留めることができたのは父のおかげであった。



そして、「運命」という臭い言葉を感じさせてくれた大きな存在は今の彼女である。
彼女は仕事を辞めてから口うるさく、そしてねちっこく「ハローワークに行ってみたら?」と言ってきた。私はそれにうんざりしながら、「まだ辞めて間もないからゆっくりしたい」と言って、彼女の問いを受け流していた。そんなやり取りを、ハローワークに行く前日も電話でしていたと思う。あまりにも言われので、「口酸っぱすぎるだろ」と心の中で毒を吐いたが、言葉にはしない。というかできない。自分の弱さ、情けなさにうんざりする。



そんなやり取りもあったためか昨日、行きつけのうどん屋さんでカレーうどんを食べた後、「何もすることがない。どうしよう」と思って真っ先に浮かんだのがハローワークに行くことだった。これも彼女のハローワーク策略に嵌ってしまったのかと考えたが、それは考え過ぎである。単純に気になる場所ではあったから行ってやろうという気になったのである。だが、確実に彼女の口うるさい「ハローワーク」が耳にこびりついていたせいでもあった。



ハローワークに着いてみると、何もわからないままパソコンの前に座ったら操作ができなくて、受付が必要であることを職員さんに教えられた。何も知らない自分が恥ずかしい気分になった。私が恥ずかしいことなど、誰も気にしていないのだが、私は恥ずかしかったということだけは、後世に伝えたいと思う。どうでもええがな。



受付で番号札をいただいてから、検索を始めると、うじゃうじゃと求人が溢れていて、前に友達が言っていた「仕事はいくらでもある」という言葉を思い出した。もちろん、どんな仕事に就くかが問題になるのだが。そんなことを思いながら地元で図書館司書の仕事を探していると、あった。父が言っていた通り、パートタイムでの求人を見つけた。しかし、パートでは気が進まないなと思案しながらパソコンをいじっていると見つけた。それはフルタイムでの求人であった。その時、電撃を打たれたというのは大袈裟で、何となくハローワークに来て見つけちゃったけど、応募してもいいのかなという真面目と言うか馬鹿げた考えだった。私は頭の中?心の中?で自問自答した。「こんなにあっさり決めてしまってもいいの?」。何事もあっさり決めても、考え込んでも答えは大して変わらないことがある。私の自問自答はその類のものだったと思う。フルタイムの応募要項を見ると、2月14日までの求人募集だと書いてある。ちょっと待て、バレンタインデーじゃないかという気持ちはなかった。既に彼女からかなり早めのバレンタインチョコを貰っていたからである。それよりも、2月14日ってもう間もなくじゃないかという気持ちが押し寄せた。これを逃したら、大波に乗れない、というこれまた大袈裟なことではないが、1月末で仕事を辞めて、それから父の話に聞いたから、彼女が口うるさく「ハローワーク」というから行った矢先に願ってもいない求人を見つけることが出来た。これすなわち、僥倖である。そして、後になってハローワークの職員さんが「この求人は昨日でたばかりですよ」という言葉を聞いて、少しぞっとした。こういう流れを「運命」というのではないかという考えが、不意に湧き上がってきたのである。ならば、迷うこともない。流れに乗って応募するまでである。



ただし、そう思って応募したのは昨日の話である。だから、地元図書館司書フルタイム求人(ウルトラ怪獣みたい)に受かってもいない。浮かれ過ぎである。まだ、履歴書も書かずにこの文章を書いている。書いているということは、この「運命」的なことを私は記憶に焼き付けたいと思っているのだろう。仕事を辞めたことで、日記や何かを書く時間が増えた。それは日々の記憶や出来事を記録したいという私の気持ちに他ならないのかもしれない。そして、この文章は「運命」的なものが私を見えない糸で操っているという自説を肯定したいためのものかもしれない。臭い、臭すぎる。がそうやって「運命」と名付けることで、誰かの劇的なことも私みたいな些細な求人発見でも何だか素晴らしいものに思えるのなら、軽めに「運命」と使った方がいい気がする。どうせ誰もが「たまたま」とか言うのなら、せめて自分ぐらいは「運命」と言ってやる。あぁー、履歴書、書かなきゃ。

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