見出し画像

ビオトープ

 パワーショベルが折り忘れたアームで電線をぶちぶちと引きちぎりながら道を渡ったとき、僕は今まで世界のいったい何を見ていたのかと、鉈で頭を真っ二つにされるほどの感銘を受けた。起こりうることはすべて起こるという大自然の摂理を初めて目の当たりにしたような気がしたし、何と言っても僕にはそれが王者の振る舞いに見えた。パワーショベルはどるると低いうなり声を上げながらその場にキョトンと立ち止まっていたが、その力強さと無頓着ぶり、それでいて堂々たる態度はまさしく野生そのものだった。

 それまで僕は野生のパワーショベルというものを見たことがなかった。というより、馬と同じで野生のイメージがなかった。工場で生まれて、工場で鉄くずになる、そういうものだとおもっていた。

 一度青山のオフィス街で横倒しになったクレーン車を見たことがあるけれど、あれとは全然、わけがちがう。動物園の檻の中で天寿を全うしたようなものだ。スーツ姿の野次馬がどこからともなく集まってきて、その死を悼んだ。僕はその様子を、ビルの四階から見下ろしていた。

 オフィス街と山では全然ちがう。山というよりは小高い丘と言ったほうが近いかもしれないが、すくなくともトンネルを掘ろうとしていたくらいだから、ひと山と言っていい規模ではある。僕はそのてっぺんで、事前調査の作業員として肉体労働に精を出していた。つまりパワーショベルは地形的な意味でも、頂点に君臨していたわけだ。

 ぶった切られた電線の端からは、電気が水のようにちょろちょろと流れ出していた。本当ならテレビとか冷蔵庫に流れこむはずだった電気だ。供給を絶たれた家屋は数軒だったはずだけれど、人が住んでいたかどうかはわからない。しかし人の形跡がないからといって切れた線をちょうちょ結びにしておくわけにもいかないから、現場監督は当時まだ珍しかった携帯電話であちこちに連絡をしていた。もちろん、うちのユンボがすみませんとか、そういう形式的な謝罪も含まれていただろう。あるいは、あんな低い位置に電線を張るなんていったいどういう了見だ、と電力会社にクレームを入れていたのかもしれない。いずれにしても電線は切れ、数軒のテレビは映らなくなった。パワーショベルは我関せずと言った面持ちでガソリンくさい鼻息をふかしていた。

 もちろん、僕らには何の支障もなかった。なんとなれば、テレビが映らなかったり冷蔵庫の中で野菜が腐ったりすることと、よりよい暮らしのためにトンネルを掘ることとはまったく別の話だからだ。気の毒だとはおもうが、僕ら作業員にはせいぜい遺憾の意を表するくらいしかできない。第一、工期というものがある。もっと言えば経験上、工期はいつでもちょっと間に合わないように設定されている。作業を止めることができるとすれば、それは雨だけだった。

 十五時の休憩に入ると、現場は電線に降りかかった不運の話で持ちきりになった。あれはすごかったな、とか、おれは止めようとしたんだ、とか、漏れ出た電気はどうなるんだろうな、とかそんな具合でいつになく活気に満ちていた。そこへ若い作業員がトマトを齧りながらやってきて、見た?と僕に声をかけた。

 作業中に出る大量の残土は、もともと山だから多くのミネラルを含んでいる。彼はそれをうまく利用して、現場の隅にちいさな菜園をこしらえていた。茄子とかモロヘイヤとかいろいろあったがいちばんの自信作はトマトで、相伴に与った連中はみんなその美味さに舌を巻いた。

「見たよ、もちろん」と僕は答えた。「鳥肌立った」
「そんなに?」と園芸家は真っ赤な果汁をすすりながら言った。「たしかに美しかったけど」
「美しかった。ホントそうだな」
「オスは初めて見たんだ。ラッキーだったよ」
「オス?」と僕はびっくりして訊いた。「あれ、オスなのか?」

 結論から言うと、園芸家が話していたのは、茂みからひょっこり姿をあらわしたキジのことだった。彼はそっちに見とれて、電線に降りかかった不運を見逃していた。でも僕はパワーショベルが美しいオスであるという見方が気に入ったのであえて説明はせず、キジはいいよな、と頷いて意見の一致を見たことにした。実際、キジのオスが美しいことについては何の異存もなかった。そして同時に美しいオスのパワーショベルも、このとき僕の胸にはっきりと焼き付いた。

 もう一度、今度はもっと率直に言うけれど、僕は圧倒されたのだった。それも機能美とか、シルエットの格好良さといったガジェット的な魅力ではなく、熱を帯びた雄々しい野生と、その威厳に胸を打たれた。

 ばきばきと控えめな音を立てながら、遠慮がちに草木を踏み分けて森の奥へと消えていくパワーショベルの後ろ姿を、僕は思い浮かべる。大雨のあとにできた池に身を浸し、大きなショベルで水をすくっては頭からざぶりとかぶる豪快な水浴びの様子を思い浮かべる。パワーショベルの抜け殻が甲虫たちの心地よい住処になっているところを、僕は思い浮かべる。赤くざらついた錆をかりかりと削ってはついばむさまざまな鳥を思い浮かべる。黄色い体の後部にくっついたちいさな種子から、大きく伸びをしながら萌え出る瑞々しい新芽を思い浮かべる。新芽はやがて貼りつくように根を張り、ささやかな木漏れ日と雨の御零れに与りながらすくすくと育ち、長い長い時間をかけてゆっくりとパワーショベルを取り込んでいくだろう。数えきれない微生物たちの人智を越えた力によってパワーショベルは分解され、土へと還り、文字どおり古株となった巨木の根元にはふしぎな形をした大きなウロが残るだろう。ひょっとしたらそのウロではまた新しい世代の、若く生命力に満ちた手のひらサイズのパワーショベルが産声をあげるかもしれない。

 それを見届けることができないなんて、と僕は首を振りながら、手渡されたもぎたてのトマトにかぶりついた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?