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会話の件

僕は昔からコミュニケーションをとることが苦手です。

正確には自分からコミュニケーションをとる事が苦手です。

僕は他者に質問をされたり、声をかけられたりすると
多少緊張はするものの、求められたことに対して、相手が100%望むものではなかったり、それが間違っていたとしても
自分の言葉として答えることは出来ると思います。

僕が苦手だなと思うのが自分が主導してコミュニケーションをとる時です。

例えば2人でいる時、沈黙すぎるときには自分が話題を作らなきゃ!と焦り、
その結果相手にとってつまらない会話になってしまってしまったのではないかと1人で反省したりします。

また、話してるのが楽しすぎるとどうしても自分が話しすぎて、ブレーキが壊れた列車のように話しすぎてしまいます。
そういう時は相手のこと考えてなかった、話しすぎてしまったなと反省したりします。

自分はどう振舞ったら、楽しい雰囲気が作れるんだろうと考えます。

そんな中でも最近思うのが、
正解不正解は関係なく、
とりあえず自分思っていること、考えていることを伝えてみることから始まるのではないかと思います。

例えば
片想いな相手がいるとして、自分が好意を持っていることをその人に電話であれ、LINEであれ、手段が間接的であったとしても、その相手に直接伝えない限りは、基本的にその相手に好意は伝わらないです。

頭の中で考えていることは言ってしまえば
所詮頭の中の話で、僕がテレパシーでも使えない限りは相手にその考えを伝えることは不可能です。

僕も家に人が来てくれた時などは
頭の中で脳内会議が行われていて、
この時はこういう風に自分は振舞おうとか、
こういう風にしたら相手は楽しんでくれるかな、
これはあったほうがいいかな…みたいなことが頭の中でぐるぐるぐるぐる回ってます。

こういう配慮は相手に伝える必要がないから自分の中で抑えてもいいと思います。

それでも配慮以外に人がいる時に必然的に生まれるのはその場の雰囲気や関係性です。

この人になら伝えられる…ではないですけど、
とりあえず求められたことには正確に応えたいし、
特に相手に迷惑をかけるようなことこそ怖いけど伝えないとって思います。(ホントに怖いんですけどね…)

少しズレますが、オンライン授業が増えてzoomですることがあるのですが、zoomでディスカッションする場面とかは沈黙に耐えるのが無理すぎるので、とりあえず先陣切って話すことが多いのですが、直接だと逆に話せなくなる現象はなんでなのでしょうか。

話が逸れましたが、結果がどうあれ考えていることは、伝えてみないと始まらないし、当然その先に続くことはないので、
人に伝えてみることを恐れずに考えていることを話してみようと思います。

…という文章を書きながら、実はnote自体が1対不特定人数のコミュニケーションの形なんじゃないかなって思ったりしました。

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