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短歌という、ヘボな上におよそ自分に似合わないものを作るのが実は隠れた趣味だったりする

自分の意外な趣味と言うか、何と言うか。その一つに短歌がある。ただまあ誇れるようなものでないことだけは確かで、出来は総じて不味い。下手の横好きと呼んで差し支えないものだと思う。
にもかかわらず、短歌は好きだ。

似たようなものだと思われるだろうが、俳句は詠めない。というより、俳句を詠む自信がない。
何故かと言えば、ぶっちゃけ、季語を完全には知らないからだ。だから自分がやると、俳句でなくてほぼ全部が川柳になる。
そういうツッコミが入るのはシャクなので、俳句は仮に求められることがあったとしても、絶対にやらない。底を割って恥をかきたくないのだ。

とは言え、短歌もわりと困難で、三十一文字で何かを表すのは十七文字よりはイージーなようにも思えるが、自由度は決して高くない。何しろ文字数の制限が格段に厳しいのだから、その中で何かを表現しなければならない。
そう考えると、結構難しいんだが、何しろ文章もそうだけど、短歌も我流でごまかそうとしてしまう。
だから、到底高評価されるとは思っていない。下手の横好きでええやん、と常日頃から思っている。我流短歌なんてそんなものよ。

こんな自分は、ガイナーレ鳥取にもこと寄せてたまに短歌を作ったりするわけで…。

とりあえず何篇か紹介してみると、例えば…


鳥取に 翔(かけ)る多くの 若き夢 叶えるために いざ闘わん


ま、こういうのを時々思いつくわけだ。へっぽこと言うより、それらしいフレーズを適当に織り交ぜて、短歌にしちゃえってごまかし根性丸出しよね。
こんなしようもない短歌を、時々無性に作りたくなる。ほとんど自己満足の世界だから、評価なんてされなくてもいいと思ってる。


舞う鳥の 翼の広さ 何処までも 大きくなれよ この空の下


見たらすぐわかるよなあ。ガイナーレ鳥取にこと寄せて、こんなの作ったりするんだもの。なんかいろいろ不評そうな下手くそな短歌だと、作った自分ですら思う。
とは言え、なんか作っちゃうんだよなあ。


頂に 辿り着きたい 今年こそ いざ強翔の 徴(しるし)の下に


今年のスローガンとか入れたりもしてみる。何かもう無理矢理っぽいな。しるしとか、普段使わない読み方を無理くりに使ったりとか、下手なくせに技巧に凝ろうとし過ぎだっての。
もっと素直に作れば、と自分でも思うんだけど、作るからには格好つけたいとか思っちゃうもんだから、ついつい凝ったりする。


アクシスで 野人で集う 人々の 声が奮わす 強翔の君


スタジアム名を織り込むのって、三十一文字の中ではやっぱどうしても制約出ちゃうからね。これなんか、自分としてはかなり苦心した方かもしれないね。苦心してそれかよ、と言われると返す言葉もないが。
御心配には及ばない。その程度にしかできないのだから。


ふるさとの 思いがこもる ガイナーレ いつか叶えよ その約束を


下の句にある「約束」という言葉にはどういう意味があるかというと…

昔、「東山の約束」ってのがあってだね。今、チームの強化部長をやってる吉野智行氏が、選手だった頃、2009年シーズン最終戦後に、Jリーグ参入が叶わなかったのを受けて、サポーターの前で言った言葉を指してる。
ま、そんなのも織り交ぜたりしながら、決してよろしくない頭をフル回転させつつ、短歌作ったりするわけ。

まあ、こうやって自分をクソミソに言うんで、「それはどうだろう」と言われることもあるけど、実際、短歌の出来は良くないと思う。短歌ってホントに難しいんだから。
今挙げた不出来な五首だって、あの程度でさえもひねり出すのにヒイヒイ言っちゃう始末だからね。

まあ、下手な短歌を大っぴらに公表する機会なんて滅多にないんだから、はしゃいだおっさんがいい気になってる、とでも思って勘弁してやってほしいものだ。

それに、心配しなくても、そんなに頻繁に短歌をひねり出せるわけでもないよ。才能ないんだもの。こういうへっぽこ短歌をごくたまにご披露するぐらい、寛大な気持ちでお許し願えれば。

文章の表題でも述べてるように、短歌というのは、およそ風流とは乖離した自分の言わば隠れ趣味みたいなものだから、こんなのもやってますよ、と驚かすネタぐらいに思ってるもので。

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。