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たかが20年、されど20年

思えば、ガイナーレ鳥取の前身であるところのSC鳥取の試合を、2002年に初めて観に行って以来、20年が経とうとしている。

この辺にもチラッと書いた2002年夏の東山での試合から、早20年だ。

まだこの頃は、ブクブクと肥えていた……のではなく、いや、一応そうなんだけど、そういうことじゃなく、元気だった。何より、サッカーに確実にのめり込んでいった時期だった。

サッカーへの関わり方は、この20年でかなり変わった。脳梗塞なんてする前は、バリバリ応援活動に勤しんでいた。しかし、最初の発症からちょっとだけ復帰した時、さすがにもうこれは自分の手に負えないと思い始めた。
そして、例の入れ替え戦で負けたのを機に、私はゴール裏から身を退いた。集う人々の迷惑にはなりたくなかった。

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今は写真を撮ったり、ブログに何か書いたりしていて、最近では月1程度のペースでOWL magazineに主にShort Letterという短いものを寄稿している。

このように、応援から、モノを書いたり表現する方に行った。これはこれで確かに厳しい世界だと思うし、大変なことは自分でもわかっているのだが、実りがある時は報われたって思う。

そんな感じでサッカーとの関わりは何となく変わっていったが、変わらないものもある。サッカーを好きでいることだ。

これだけは、どうあっても変わらないだろう。強いて言うなら、好きさ加減は、その時々によって若干の違いはあるのかもしれない。それはそれでもうどうしようもない。

でも、サッカーを好きでいること自体に変化はない。あったら、たぶん今もサッカーの現場に足を運んでいるかどうかわからない。そしてこんなしようもない文章を書いたりしないだろう。それだけは確かだ。

サッカーには私をそうさせる不思議な魔力みたいなものがある。何故かサッカーという競技には、私との親和性があったのかもしれない。

言うなれば、私の人生に於けるほんの一つまみのスパイスみたいなものなのだろう。その分量や使うものによって、味や雰囲気が大きく変わっていくものだ。

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ハッキリ言って、今の私は偉そうに「私は紛うことなきガイナーレ鳥取のサポーターでござい」とは申し上げられない。強いて言えば、ただの古株、年季の行った観戦者であり応援者に過ぎない。

今は例えば、私などよりずっと熱量を込めて応援している人も多いし、見方も私とは違って知見が豊富なので、私みたいないい加減さがたぶんない。
なので、別に古くから応援してるからどうこう、とは思っておらず、中心はやはり今、熱を込めている人々で占められるべきだ、と考えている。その人たちがどういったスタンスであるにせよ、だ。

そのように、現時点での熱量が豊富な人たちこそガイナーレ鳥取のサポートに於いて中心的な役割を果たしてもらえたら良いと思う。そうした人たちが代謝を経て代替わりしていけばなお良いだろう。

応援活動でも先陣を切ってもらえると良いだろうし、その他のことでも先を行ってほしい。そうやってクラブを、チームを支えてあげてほしい。
もちろん、私は私にできるやり方でクラブやチームを支えさせていただく。そうしたサポートの多様性は認められるべきだとも思う。

別に、何年も応援してるから「こうしろ、ああしろ」みたいなことを言うつもりはない。というより、それは言えない。だって、私はとっくの昔に界隈では過去の人でしかないのだから。

くどくどと言うようで申し訳ないが、今、中軸にいる人たちでどんどん盛り上げていくべきだ。それはそんなに難しいことではないはずだ。

病気とかした、くたばり損ないが偉そうに、となるかもしれないけれど、己の熱量をクラブ、ひいてはチームに捧げられる人たちは、実に幸せな人たちなのだと思う。
それだけの体力や精神力を持っているのだから。十分に誇って良いことだと思うし、誇らなければならない。

私にはそんな気力はもうかなり失せつつあるので、ここ数年は、私のやり方でクラブやチームの力になれたら、と思うようにしている。

その辺りはもう少しばかり後述させてほしい。

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この先、どの程度生きられるのか、正直わからない。ま、でも、生きてる間ぐらい、自分らしさは失いたくない。

ということで、特に二度目の脳梗塞をやってからこっち、私は気ままに生きようと決めた。誰に気兼ねすることはない。私の人生だ。

そんなわけで、ガイナーレ鳥取をはじめとするサッカーやフットサルなどにも、今後とも自分なりに関わっていくことになると思う。写真を撮ったり、文章を書いたりという形にはなると思うけれど。

この「自分なりに」が大切なことだと思う。あまり、いろいろなことに縛られるのは、自分の性に合わない面もある。必要なものには縛られても仕方がないと思うが、極力そういうものは少なめておきたい。

私が愛好する基準は、その実力の強さではない。如何に私に「刺さったか」だと言える。何がどう「刺さったか」はともかく、今の私が愛好しているチームは、どれも私に「刺さった」チームばかりだ。

そうした刺さったチームを中心とした、サッカーやフットサルでつながっている縁も、できるだけ大切にしたい。私はただでさえ人付き合いの下手な人間だから、その辺りは損なわないように気をつけたいところ。

だから、もうしばらく、私の我が儘と下手な写真としようもないテキストにお付き合い願いたい。

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ところで、2021年のJリーグも終盤になってきた。残念ながら、現時点でのガイナーレ鳥取の成績はあまり芳しくない。
それにここ最近、ボチボチ新加入選手も発表され始めていて非常に喜ばしいものの、現有選手の発表はまだ先なので、それらを以て一気にドカーンと爆発しそうな予感には、現時点では乏しいと言わざるを得ない。
まあ、まだ時期が時期なので仕方がないが。

そこで、先程の話の続きを少々。

心は痛いが、でもだからって別に選手や首脳陣らをディスりまくろうなんて思ってもいない。
私なりに叱咤激励みたいなのはしてみようと思う。トーシローがあんまりどうこう言っても始まらないし、せいぜい精神論的なかけ声しかかけられないけど、私は時折声を上げることもある。

それはガイナーレ鳥取にだけではなく、湘南ベルマーレやポルセイド浜田などにも同じことが言える。

一つだけ言えるのは、この先の状況がどうであれ、監督が誰であれ、私は彼らに愛想を尽かすようなことは明言しない。チームに一欠片でも愛情はあるうちは、ケツはまくらない……ということだけ。
去る時は黙って痕跡も残さずとっとと去っていくだろう。

強いて言えば、それは長らく彼らを観てきた間に培われた、カッコいい言葉で言えば自尊心のようなもの。でも、実際にはそんなに大袈裟なものでもなく、言わば最低限の思いみたいなものだ。

私は以前からサポーターは勝手連みたいなもの、と思ってきているが、その中にも多様なのがいて、中にはこんなことを思っているようなのもいる、ぐらいの解釈で良いと思う。
勝手連の中にも、いろんな考え方のヤツがいる。中には小異を巡っていろいろあるかもしれないが、本質的な面では大同を巡って団結し、チームが存在する限りはそれを支えて行ければ良いと思う。
繰り返すが、小異は様々にあれども、最終的には大同につくのが良いだろうと考える。サポーターってそういうユルい連帯で良い。強固な連帯は応援の声を出す時だけで良い。
つまるところ、十人十色のサポーター像の中にこんなのがいる、というだけのことだ。

わけのわからないことを書き連ねたが、この先も、私は私にできることしかしないし、それで良いと思っている。私の人生なのだから。

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。