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1-8でも0-1でも一敗は一敗。でも、その価値を決めるのはチーム自身だろう

このまえ、チュウブYAJINスタジアムで、ガイナーレ鳥取vsAC長野パルセイロの試合を見た。

ご存知の方もいると思うが、試合結果は何ともはや、惨憺たるものだった。

私はベンチの声が聞こえる辺りにいたのだが、だんたん金監督や増本コーチの怒声ばかりが聞こえてくるような状況になっていった。

サッカーは元来、点が入りにくいスポーツだが、そんなイメージを覆すようなペースで失点を重ねた結果、チームがこの場に於いて醸し出すはずの一体感は、徐々に得体の知れない焦燥感へと転化していった。

それでも、前半の三失点ぐらいまでは、まだ良かった。チームにこの失地を挽回しようという気力らしきものは感じ取れた。足掻こうともしていたように見えた。

だが、後半に長野の上米良選手がチームとしての四点目を取った頃から、チームがこの日の空模様みたいに、澱んでいったように思う。

その後、鈴木順也選手が意地で得点を挙げ、チームに活気をもたらしたかに見えたが、すかさず森川選手に得点を決められ、恐らくこれで切れてしまったんじゃないかと個人的には考えている。

選手たちは「俺たちはいったいここで何をやってるんだ」「おかしい。こんなはずじゃないだろう」と思っていただろうが、反証するための具体的な手立てを持ち得なかった。

若い杉井颯選手が、声を出す。出すが、ほとんどの選手に響いてこない。この日のガイナーレ鳥取は、このように、打てども響かない有様で、ほぼ90分間を終了せざるを得なかった。

この試合のおよそ1ヶ月前、髙木理己前監督が解任され、金鍾成新監督が着任した。チームはそんな状況の渦中にあった。

だが、監督がどうのこうの、ではない。現に、前任者の髙木理己氏にお役御免を言って、彼はその後結局、今治の人になったので、新たに金鍾成監督においでいただいた。

だが、金監督は金監督で、この難しい状況下でベストを尽くしている。見たところ、少なくとも金監督は誠実であろうとしているし、やれる範囲でタスクをこなしているだろう。

だいたい、それでなくても途中就任というのは難しい。まして、7年前の例えば前田何某氏みたいに、チーム事情をそれなりに知っている人間に任せたならいざ知らず、金監督はその意味ではハンディキャップを背負う立場だ。

現に最初は、増本浩平コーチが代理監督に指名されていた。だが、彼は一試合も指揮を執ることなく任を金監督に引き継いだ。

もちろん、困難な条件を承知で引き受けてくださったのだろうから、金監督がそれを言い訳にはしないと思う。

恐らく、かつて同じように事情をろくに把握できていない段階で就任していただいたであろう、3年前の須藤大輔氏みたいなことを、クラブとしてはあわよくばとばかりに期待したのではないか。

それならば、何となく辻褄は合う。

実際のところ、2018年の時の森岡隆三氏について、唐突な任の解かれ方だと思ったし、それを踏まえても、あの人を辞めさせる合理的な理由はなかったと思っている。

あの時の須藤監督には、なるほど、俗に言う「監督解任ブースト」が多分に作用したように思う。
ただ一方で、それができ得るチーム体制だったことも確かだ。あの時は加藤潤也選手(現ザスパクサツ群馬)がいたし、レオナルド選手(現山東泰山)もいた。何より、フェルナンジーニョ選手がいた。

また、北野貴之選手がいて、チームを引き締める役目をしていた。JFLで優勝した2010年シーズンで言えば、服部年宏さんがいたのと同等な効果があったものと思う。

翻って、今はどうだろう。なるほど、現状には満足できまい。それで髙木理己さんにお引き取り願った。この判断も理解できなくはない。

だが、いくらかつて実績を持っている金監督にしても、ゼロからの構築を任せるのと、既に前任者がある程度作っているものをリビルドしてほしいと頼むのとでは、やや趣が異なるように思う。

金監督を擁護するわけではないけれど、誰がやっても途中から監督を引き受ける、というのは難しいと思う。


まあ、監督云々の話は、ここらで切り上げたい。そもそも、そういうことが今回の状況につながってなどいない。

それよりも、最初にも言ったように、この前1-8というとんでもないスコアで敗れ去ってしまった。

確かに失点の数字だけ見れば、途轍もなく大きくて意気消沈してしまうけれど、問題は失点の数字が大きいことではなく、それをこの先の糧とできるかどうか、だと思う。

例えば今年なら……

紆余曲折あって開催されたこの試合(つまり、ホームでの岐阜戦)を、0-1で敗れている。

このように僅差で敗れた試合も、この前のような大差で敗れた試合も、記録の上ではどちらも同じ一敗にしか過ぎない。

最少の点差で済んだら、ボーナスポイントがもらえるとか、逆にこの前みたいに大量の点差がついたら、勝ち点をごっそりと没収されるとか、そんなことはない。
Jリーグのレギュレーションでは、どういう負け方をしても、負ければ勝ち点ゼロなことには変わりがなく、1点差だろうが7点差だろうが、負けは負けなのだ。
逆に勝った時も、いわゆるバカ試合だろうが、いわゆる夢スコアだとか、サウジスコアだとか、それぐらいの大差がつこうが、逆に野球で言うスミ一みたいなスコアだろうが、勝てば勝ち点は3でしかない。
引き分けだと、0-0だろうが、5-5だろうが、同点で試合が終われば、仲良く双方のチームが勝ち点1ずつを分け合う。

ただ、どんな試合をしても構わないが、その試合に意味を持たせるのは、他ならぬ当事者であるチームなのだ。

数字の上では勝ち点0という結果しか残らないが、この結果を意味のあるものにできるかどうかは、結局のところ、その後にチームが何をどうしたかによるのではないか。

例えば、練習をするとしても、今までと少しアプローチを変えてみたり、それをしなかったにしても、チームでミーティングなどする時に、いつもと違う話をしてみたり、そういうことはできるはずだ。

負けたあとに、次の試合までの間を漫然と過ごすのではなく、何でも構わないけれど、足掻いて、有意義なことをいろいろ試してみてほしい。それをすることで、今までできなかった発見ができるかもしれない。


この前の試合のあと、確かに私は辛かった。いつものブログを更新こそしたが、それさえもしたくなかった。

でも、長年あのチームのケツっぺたにくっついてきた身としては、こんなことでケツをまくったりできるもんか、と思わざるを得なかった。

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見る側にとっては、何点差がつこうが、、どれもこれもさほど違いはない。

確かにこの前のチュウブYAJINスタジアムでは、惨憺たる試合を見せられて意気消沈もしたが、私たちにできることは、結局のところ、彼らの背中を押すことしかない。

同様に、先程も述べたとおりで、ガイナーレ鳥取というチームにとっても、この試合にどういう意味を持たせ、次の試合への礎にできるかどうかは、彼ら自身が決めるしかない。我々は我々のことしか決められない。

再びねじを巻き直して進撃するにしろ、ケツをまくって撤退するにしろ、チームのことはチームが決めるしかないのだ。我々はそんな風に足掻いた姿を感じて、彼らについて判断するしかない。

もちろん、できる範囲や、責任が取れる範囲でのことなら、力を貸すのは吝かではない。

この先もチームが存在していくとすると、ガイナーレ鳥取には多くのことがあるだろう。もちろん良いことばかりが起きてほしいが、禍福はあざなえる縄の如しという言葉もあるように、良いこと悪いことはどちらも等しくやってくる。

もし将来に、例の1-8について、「あの試合、俺(私)も見てたけど、あんな試合もあったよね」と笑って話せる時が来れば良い。それをさせてくれるかどうかは、チームのこれからの取組次第だろう。

今はとりあえず、ガイナーレ鳥取がこの先も奮起できるように、続く試合のことをあれこれ夢想してみる以外にないだろう。そうすれば、また、次の試合にも性根が据わるというものだ。

再度言うけれど、1-8だろうが0-1だろうが、精神的には大差なく、どちらも敗北には違いない。

ただ、その敗北を漫然とやり過ごすか、今後に意味を持たせるものにできるか。その分岐について、今、問われていると思う。
ガイナーレ鳥取というチームにしろ、運営する株式会社SC鳥取にしろ、我々ファンサポーターにしろ、リンクするそれぞれの立場で、何かしら考えてみなさいと突きつけられているのかもしれない。

今、ガイナーレ鳥取はそういう意味で、一つのとても大きなジャンクションに差し掛かっていると考えている。

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。