大学院ではなにをやるのか(1)
はじめに
前回の様子見の文章が意外といいねがたくさんついたのでこの分野に興味がある人が多いことに驚くとともに、最近リスキリングなどという言葉が流行ってるように先行き混沌とした時代に入って自分にどのように投資し続けるかというのは非常に重要なことなのだろうと実感している。
かくいう私も元々このサイト自体が燃え尽き症候群になって無職となり気力も何も湧かない状態から徐々に社会復帰していく過程を記したものだけに、なにがどのようになっても生活していくためにはいいテーマなのだろうと思う。
今回は大学院では何をやるか、という表題だが私自身も医師として臨床をバリバリやっている時には「研究とはなにか」、突き詰めて言えば「アカデミア」という世界がどういう能力を必要とするのか全くわかっていなかった(今でもわかってないのかもしれないが)。
大学院に入って学位を取る、ということにはその学位を用いてキャリアを有利にするという意味もあろうが、それはまた別のトピックで検討することとして、今回は「アカデミア」という意味で大学院で身につける・身につけなければならない能力という観点から話をしてみたい。今回は完全に独断で自分の考えなので一人の考え方としてお許しいただきたい。
アカデミックスキルとは
極論だが、私が大学院で身につけるべき能力と考えるのはひとえに「アカデミックスキル」である。これが身につかなければわざわざ時間と労力を注いで学位を取ったとしても(就職などにはもちろん有利かもしれないが)あまり意味が無いのではとすら思っている。では具体的にアカデミックスキルとは何かについて自論を述べたい。
子供がスイスの学校に行っていたのでスイスの教育体系を詳しく知ることになったが日本に比べて興味深いと思ったことがいくつかある。まず日本の多くの大学で教わる内容のうち結構な割合でスイスでは大学で学ぶものではない、というところである。
例えば小中高の教師になるには大学ではなく教師になるための訓練校のような学校を卒業する必要がある。医師に関しては医学研究が大きな割合を占めるのか大学に医学部があったが、医学部に入っても将来アカデミアを目指すコース(MD-PhDコース)を選ぶ人とそうで無い人でその先のキャリアの進み方がかなり異なってくる。
日本では割と多くの大学が「職業訓練校」的な存在であり、どうも最近の政府の方針ではますます大学の職業訓練校化を推進していくような雰囲気である。もちろんそれ自体は重要であり、むしろ猫も杓子もアカデミアであるべきではなく本来は少数精鋭のやる気と能力の双方を兼ね備えた場合にその方向に進むべきであるとは考えている。
以上の例から分かるように、アカデミアは「研究機関」であることが本来の目的であると考えると、既に受け入れられた学説を学び身につけ訓練を受けた職業人としてそれをアウトプットしていく(例えば医療従事者なら医療、教師なら教育など)のとは別に、新たな発見を目指し作り出すべき施設であろうということである。
例えば医学部では数多くの単元があり全てに合格する必要があるため学生時代はかなり真面目に勉強していた。そしてそれを身につけたのち研修医となり指導を受けながら経験を積み徐々に独立して医療を行うようになった。ただこれらは既に受け入れらた知識を学び実践に移しているだけであり、むしろ勝手に新しいことを試すことは医療倫理に反する。これはここでいうアカデミアとは言えないと考えている。
つまりアカデミアは本来まだ受け入れられていない知見あるいはまだわかっていない知見を発見しそれを相応の確率で正しいと考えられるような方法を用いて検証しそれを世に出すところであり、アカデミックスキルとはそれを論理的に裏付けするための知識及び方法であると考える。
大学卒業の学士レベルでも卒論が要求される学部は多く、この時に既にそのスキルを学び始めているところもあるので専門性にもよるが、私の感覚としては以下のように捉えている。
小中高:大学に入って専門的な学問を学ぶための基礎知識を学ぶ
大学(学士):既に確立された専門的な分野を身につける
修士:アカデミックスキルの基礎・方法論を学ぶ
博士:アカデミックスキルを実際に使いながら学ぶ
博士研究員以降:指導の元に主に自分で研究を行い始める
という感じでは無いだろうか。つまり大学院に入るというのは(本来は)このアカデミックスキルを身につけ、願わくばそれを自分で使えるようになっていく場所であり、既に確立された学説を理解し身につけていく段階とは一線を画している(べき)と考えている。
文章が長すぎると読んでもらえないので一旦ここまでとする。
次回は「具体的なアカデミックスキルの内容」として続編とする予定である。次も書いた方がよければいいね!してください。