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フレデリック・ラルー氏 Teal Journey Campus講演「Purpose Story」

※このnoteは9月14日に東京工業大学大岡山キャンパスで開催されたティールジャーニーキャンパスにて、『ティール組織』著者であるフレデリック・ラルー氏のストーリーテリング「Purpose Story」の内容を可能な範囲で文字起こしし一部編集を加えたものです。以下を理解された上でお読みください。

・聴き取れて打てたもののみですので完全な内容ではありません。肌感覚として7割程度で、数字や名称は微妙に間違っている可能性があります。
・編集を加えたため、当日の翻訳とは一部表現や言い回しが異なります。

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皆さん、こんにちは。

今日は私にとって特別な日です。

この本を書いてから、自分でもどうなのかなと思っているのだけど、色んな人がセルフマネジメントを語り出すよになり、階層構造はもういらないんだと言い出すようになりました。

しかし、本来の人間の進化・目的の進化について興味ある人は少ないようで、話す機会はありません。

だから、今日は目的(パーパス)について話せるということで、特別な日な訳です。

でも、運営の皆さんからは「組織についての目的ではなく、フレデリックの目的について、話をして欲しい」と言われてしまいました。

こういう場で自分の話をすることはありません。ちょっと引っ込み思案なんです(笑)

だから、今日は私の目的に関する旅路を皆さんにシェアしたいと思います。

私の人生の目的の話を聴いて、皆さんが何を感じるか・どのように響くかが大事だと考えています。

それを聴いて自分がどう感じるか、「それは違うのではないか?」と異を唱えるのも問題ありません。どうぞ自由でいてください。


実際、人生が目的のあるものと感じられるようになるために、年月がかかりました。

私は子供の頃は学校の向けの知性でいえば非常に高いところにあり、常にクラスでは優等生でした。

それは「いいこと」のように聞こえるかもしれませんが、人から期待されていることを学ぶだけでした。

当然目的などは持っておらず、自分が何者なのか・何を学びたいのか疑問など全くを抱くことなどありません。

そのまま学校を卒業しましたが、自分が何者か・何をしたいのかは分からないままでした。

高校でもトップレベルでいい成績を取っていたので、当然のようにベルギーで最もレベルの高い大学に自動的に入学することになります。

その大学には伝統がありまして、トップレベルの成績の人は卒業後に自動的にコンサルティング会社、その次のレベルの人は投資会社、その次のレベルは銀行へと就職していくことになっていました。

だから、私は大学を卒業後にマッキンゼーに入った訳ですね(笑)

マッキンゼーでは楽しかったし、いい人もいましたが、自分がやっていることはどのような意味があるのだろうと感じることもありました。

当時を振り返ってみると、リッチな銀行や投資会社をさらにリッチにする仕事にどんな意味があるのだろうかと仕事に疑問を持ちながら働いていました。

マッキンゼーでは15年お世話になりましたが、働いている時はいつも、いつ辞めるかを考えていました。

「そうだ、あと5か月で頑張ろう」
を繰り返していたんですね。
そして、もう5か月、もう5か月、5か月…といった調子ですね(笑)

マッキンゼーで数年くらい仕事をしてくると、私は段々とあることを感じることが増えてきました。

パートナーとして仕事している銀行や投資会社の皆さん。彼らは、仮面をつけて仕事をしているように感じました。とても生きづらさを感じていました。

私は、そういった人たちの力になりたくて何かできないかと考えているうちに、コーチやファシリテーションと出会い、これをはじめたいと思うようにました。

しかし、同僚から「君は出世コースにいるのに、なぜそんなことをするんだい」と、周りからは「その身分を捨てるのか?」と驚かれました。
(マッキンゼーでは)周りにそんな人はいませんでした。きっと、フレデリックはおかしくなったと思われたと思います。

しかし、この時自分のすべきことを見つけられることができました。

”フレデリックはコーチなのだ”と。

コーチを続けて4年、あることが起きました。

2011年の春、自分が突然悲しみに襲われエネルギーが失われてしまいました

原因は分からず、これまで自分が愛する仕事をしていて幸せだと感じていたにも関わらずです。

私にとって人生で何かを教えてくれる瞬間というのが、この時でした。

自分が愛してやっていこうと思っていることを続けていくには、大企業のオレンジ型組織のようなところでは働けないと感じるようになっていきました。そしてこれは、これまで続けてきたことから離れる悲しみだと気づいたのです。

オレンジ組織の銀行や化学会社は、冷たくてかちっとしていて、ガラスや大理石に覆われたオフィスのように、人を大事にしない冷たさを感じる。そこでは、続けられない、と。

そのとき、自分が何を問うべきか分かっていました。気づいたこの瞬間はパワーを感じました

その問いは、「今、私にとって何をすることが一番意味があるだろうか?」

それは人生の目的を問うものです。

私は自分自身を信頼していました。そして、自分が意味あることをしていればお金は自ずと流れてくるだろうとも。

自分の肩の荷が降りて、自分の人生にとって今この瞬間何をすることが意味あることかに気づきました。

そして、2つのプロジェクトがあったうちの1つが、ティール組織の本を書くことだったのです。

その時の私の体験は、シンガーソングライターなど様々なアーティストたちが言っていることと同じでした。

まさに、突然アイデアが降ってくるといったものでした。これは私がティール組織の本を書こうと思ったときに起きたのです。

大企業で仕事をすることの感じた痛み。これらとは違う、まったく新しい組織を実現できるだろうかと。

なぜこの本を書いたのかと聞かれると、ある一つのレベルでは分かりませんと答えていますが、これは本が書かれるように私に降りてきたといえます。

ここまでの話、つまりこういう経緯を辿ってきているということを語ることは、あまりありません。
なせなら「フレデリックは頭がおかしいとか、ドラッグをやっているのではないか」と思われるかもしれないから…(笑)

ティール組織は、この本が私に書かれるということを本自身が選択したのだと思っています。

人生の目的を語るとき、多くの人は、人生の目的は1つだと思っています。

日本ではどうなのかよくわかりませんが、西洋では私の人生の目的をワークショップ等で考え、最後に一言書き、それを持ち帰ることといったことをしていますが、今の私はそれを信じていないのです。

ある作家の言葉があります。「長いこと”こうあるべき”という人生を私は生きてきた。それよりも大切なのは”生きられたい人生を生きる”こと。私を通して生きたい人生を生きるのだ」この言葉を今は大切にしています。
「目的の間違い」を意識することが大切です。人生の目的は、定めてしまうと一つに絞ってしまうことになります。

人生の目的は発見することではなく、私を通して目的というものが実現していくこと。その目的が通っていけるように自分を大きく開いていくこと。

人生の目的は知り得ないし、誰かに縛られるようなものでもありません。
生きたい道が終わると、次の新たな道が生まれます。その時、その道に行けるだけの大きな空間を持つことが大切です。

今まで人生でしてきた重要な決断は、一生懸命自分で考えて決めたことではなく、「人生は、いま私にどのように生きてほしいと思っているか、耳を傾けて決めてきた」ものです。

(大きな決断をするとき)頭はあまり役に立ちません。身体が決めてくれるのです。身体がまず決めて、その後、頭が繋がって考えています
私の場合は身体、直観、そして頭が働くようになっています。

ただし、耳を澄ませていても人生のラジオはガヤガヤとうるさく、ハッキリ聞こえないことも多いでしょう。

そのときは「人生は私に何を呼びかけているのか?」に意識をします。
瞑想、チャネリング、ファミリーコンスタレーション、部屋の模様替えなども自分に意識を向ける手段でしょう。私はそうやって耳を澄ませています。

それでも人生のラジオの声が聞こえないときは、今のこの瞬間に思う、人生で最善だと思うことをやっていきます。

マッキンゼーにいた頃は、色々と頭を使ってあれこれ考え、次にこれをやって、次にこれをやってととにかく忙しかった。しかし、この10年間の体験を思い返すと、人生が行きたいという方向について行けば人生は容易でした

こんなことをいうと、またおかしい奴と思われるかもしれなが、人生の目的は向こうからやってきて、それに付き従うものだと思っています。

そして、これは組織の目的も同様ではないでしょうか。

こういった話をすると「組織も目的が必要だ」と言い出し、会社にとっての目的をワークショップをやって言語化しようとしますが、そうした決め方は残念です。

組織はその組織なりの目的があります。組織は組織に生きたがられたがっている目的があります。こうあるべきと決めることではありません。

組織の目的を実現するためにビジョンを考えたり、戦略を打ち出すことが、最も大事なことではありません。

個人の目的と同じように、”この組織はどこに行きたがっているのか、どのような方向に向かおうとしているのか”に耳を澄ますことが大切であると、ティール組織では考えます。

目的に耳を澄ませていくと、ギフトがあなたにもたらされることになります。

また、人生のなかで我々は傷を負うこともありますが、それが時に贈り物にもなることもあります。

子どもの頃の話です。
私が8歳の頃、クラスが特に難しい状況になりました。
進級して、突然関係性に変化が起き、これまで仲の良かった友達がからいじめられ、私は仲間外れにされました。

それはとても悲しいことでした。仲間外れになったことで輪に入れなくなった私は、友人たちを遠くから客観的に観察していました。

観察してみると私をいじめていた子は、次は自分がいじめられるのではないかと一番恐れている子だったこと。グループのリーダー役を務める子は、とても楽しそうではなかった。幸せそうではないことに気づきました。

この時の傷が、私にとって人を観察するというギフトになっていると思います。
こうした傷は、時として力の源泉になるときがあります。目的が訪れ過去と繋がることで、自分にとって何が今すべきことなのかを表現してくれます。

ティール組織となった企業のCEOとよくする会話ですが、この組織の目的は、あなたの人生の目的のなかから選択したのですかと聞くと、大抵過去の出来事と繋がっているのです。

自分が目的を見つけるのではない、目的の方があなたを発見することを許すことです。

そして、ギフト(=目的)を受け取る用意を、自分はできているだろうかと自身に問うてみてください。

どうもありがとうございました。

数多あるnoteのなか、お読みいただきありがとうございました。いただいたご支援を糧に、皆さんの生き方や働き方を見直すヒントになるような記事を書いていきたいと思います。