農家の長男として生まれた私が紆余曲折を経てITベンチャーを起業した話
はじめまして。立川和行(たちかわかずゆき)と申します。
新潟を拠点にインターネット広告会社「ユニークワン」を経営しています。
2014年に創業して今年で8期目。
会社が目指す方向性、取り組んでいる内容について広く知ってもらいたいと思い、改めて代表者個人としてnoteに取り組もうと決意しました。これから月1回の更新を目標に、頑張っていこうと思います。
note本格始動の第一弾として、まずは私の自己紹介をしたいと思います。
ざっくりかいつまむとこんな感じ。
IT企業の社長って"成功者"のイメージがあるかもしれませんが、私の場合かなり山あり谷ありで今に至ります。
今回は自己紹介がてら、私の生い立ちから起業にいたるまでの道のりをつらつら書こうと思います。
新潟の田舎で、農家の長男として生まれ育つ
1978年3月22日、新潟県中蒲原郡横越村(現在は新潟市)にて、4人兄妹の長男として生まれました。現在は43歳です。
父は農家、母は美容師。
私が小さい頃は、曽祖母・祖父・祖母・叔父・叔母・父・母・弟・妹・妹が同じ家で生活していました。私を含めると合計11人です。
今考えると信じられない人数ですが汗
たくさんの家族に囲まれて、楽しい幼少期を過ごしました。
野球に熱中、ピッチャーとして活躍する少年時代
小学校低学年の頃、近所のお兄さんに誘われて野球をやるようになりました。まだ家庭用ゲーム機も発売されておらず、田舎なので近所にゲームセンターのような娯楽施設もありません。
Jリーグもまだ始まってなかったこともあり、当時の田舎の子どもにとって最もメジャーな遊びが野球でした。
そして小学校5年生になった頃。地元の少年野球団に入団しました。ここから本格的に野球にのめり込みます。
草野球でピッチャーをやっていた父の指導のおかげでしょうか。決して運動神経がいい方ではなかったのですが、とにかく肩が強かった。
少年野球団に入るとすぐピッチャーに抜擢されました。メンバーにも恵まれ、大会へ出るたび準優勝をするような強いチームになります。(なぜか毎回準優勝で、優勝は一回もありません笑)
中学校に進学するタイミングで、農業を営む父はビニールハウスを潰して私専用の屋内練習場を作ってくれました。
中学生だった頃の日常を思い返すと、登校前にランニングをしたり、部活が終わって帰宅後も2時間ほど屋内練習場で練習したり・・・今考えるとハード過ぎますね笑
この努力のおかげもあり、中学生になってから私が登板して負けた試合はほとんどありませんでした。
無気力で自堕落な高校生活を送る。このままじゃダメだと思い、偏差値46からの大学受験
中学の頃に野球に没頭していた流れで、高校でも野球を続けるつもりでした。しかし、ここで大きな誤算が発生します。
高校受験の失敗です。
実をいうと県外の野球の強豪校からの誘いもあったのですが、親元を離れることにビビってしまい、地元の強豪校である新潟明訓高校(漫画「ドカベン」のモデル)に進学しようと思いました。
しかしまさかの不合格になってしまったのです。結局、滑り止めで受けていた「新潟東高校」という公立校へ進学することに。
最初は野球を続けようと思ったのですが、残念ながら当時の新潟東高校野球部は、新潟明訓高校のような甲子園を目指すレベルではありませんでした。弱小校で野球を続けるならいっそやめようと思い直し、一転して帰宅部になりました。
野球に打ち込んでいた反動でしょうか。いきなり目標を失ってしまった私は、noteに書くのも憚るレベルの自堕落な高校生活を送るようになってしまいました。
学校もサボりがちで、留年のピンチを乗り越えつつ迎えた高校2年生の秋。はじめて進路について考えました。
「まだ就職なんて想像できない。とりあえずどこかの大学に進学しよう」と思い、父に相談しました。
「農家の長男が大学進学?おまえは何を言ってるんだ」
父から予想外の回答。母も同様のリアクションでした。
農家の父は高卒。美容師の母は中卒。
農家の長男という立場にありながら、大学進学とかありえないだろ、というトーンでした(母に至っては「高校に通えただけでも有り難いと思え」と言っていました)。
今の私であれば、父と母の反応は至極まっとうなものだとわかります。
もしいま私に子供が4人いて、長男が大学進学、まして東京の私立大学を目指そうなんてものなら、全力で反対します笑
しかし、野球という燃える対象を失ってしまっていた私は、この父母の反対をきっかけに、今度は大学受験に燃えるようになりました。
目指したのは「慶應義塾大学(以下慶応大学)」。理由は2つです。
1つ目は、進学に反対する両親を説得するためにも、誰もが知っているトップの大学に行こうと思ったから。国公立なら東大、私立なら慶応か早稲田、このどれかだと考えました。
2つ目は、3大学の中で慶応が一番モテそうだったから。モテない高校生活を過ごした私は「モテたい」という想いがめちゃくちゃ強かったんです笑。
こうして志望校を、慶応大学に定めました。
とはいうものの、当時の私は授業もサボりがちで、高校に入学してから勉強という勉強は一切していません。
高校二年生の秋、最初に受けた模擬試験の結果は偏差値46でした。慶応大学合格なんて夢のまた夢みたいな状況です。
現状を嘆いてもしょうがない。志望校が決まったので、本格的に受験勉強を開始しました。平日は1日5〜6時間、土日は1日13時間くらい勉強していましたね。
実は、塾には行かず独学で勉強しました。最初は予備校に通うつもりで授業を覗いてみたのですが、他の人と同じことをやっていては到底ムリと感じ、方針を転換。
「合格体験記」の本を読んで合格者がどんな参考書を使っていたのかリサーチし、自分に合う参考書を絞り込んでいきました。
ちなみに、まわりで大学進学を目指してる友人は皆無。「友人と一緒に励まし合いながら受験勉強を頑張る」という理想の環境とは程遠い…。1人で黙々と勉強していくのは、結構しんどかったです。
受験勉強を始めた頃は偏差値46、模試の判定も最低ランクだったのが、最終的には偏差値78、A判定までこぎつけ、晴れて慶応大学に現役合格することができました。
憧れの慶応ボーイに。遊びに全力投球した大学生時代
無事に第一志望の大学に進学したのですが、最初から勉学に勤しむつもりなんてありません。受験勉強で燃え尽きてしまったこともあり、学業よりも遊びを頑張る学生になりました笑
大学には最低限の単位を取得するよう通いつつ、初めての1人暮らしを満喫しました。思う存分ゲームをしたり、イベントサークルを立ち上げたり、長期の旅行に行ったり。
大学3年生の時からは、Web制作のアルバイトをするように。時給が良くてはじめただけなのですが、この時にインターネットの基礎を学びました。今考えるとこの経験は大きかったですね。
(ちなみに最低限の単位を取得する、といいつつ失敗して留年してます笑)
そんなこんなで遊び中心の大学生活を過ごし、気がつけば大学4年生の春。就職活動の時期です。はじめは志望業界などもなく、人気企業ランキングを上から順に受けていました。
しかし、業界研究をする中で「これからはITの時代だ!」と考えるようになり、IT業界を中心に就職活動をすることに。
ちなみに楽天やサイバーエージェントなどのいわゆるIT企業はまだ創業して間もない頃。GoogleやAmazonが日本に進出してくるのもまだ先の話。当時のIT業界の代表格はNECとか富士通など、日系の大企業でした。
IT企業を色々調べている中で、たまたまNTTドコモを見つけました。当時のNTTドコモは、就職人気ランキング(文系)で2位になるほどの超人気企業。
それまでインターネットはパソコンが主流でしたが、私は「ドコモのiモードのようにモバイルでのネットが主流になる時代が来る」となんとなく感じていました。
面接では「IT革命は100年に1度のビッグウェーブで、ドコモはこの波を乗りこなす企業だと感じた。自分のキャリアもそうありたい」と話し、何とか合格できました。
NTTドコモのエリート部門に配属されたものの、ついていけず辛い日々を過ごす
携帯電話キャリア最大手であるNTTドコモに、2001年4月に新卒で入社しました。支店勤務を経た後、入社4年目には本社の経営企画部へ。大企業の中枢で働けたのは、本当にいい経験でした。
まわりには、海外MBAホルダーも少なくありません。学部卒であっても東大・京大出身者ばかり。「慶応大学が低学歴と見られる世界がある」ということを、はじめて知りました。
配属された担当のメイン業務は「特命オーダーへの対応」です。唯一のルーチン業務が「経営指標の設計・進捗管理」でした。
配属された初日に、先輩から「立川くんには、とりあえず管理会計をやってもらおうかな」と言われました。しかし、恥ずかしい話ですが会計には”制度会計”と”管理会計”の2種類がある、ということをその時まで知りませんでした。
管理会計にはじまり、まわりの知識レベルやスピード感に圧倒されて「日本語なのに理解できない」という稀有な経験をしました。率直に言うと、自分の無力さに絶望しましたね。
「これはヤバい」と思い、会社から近かった会員制図書館(六本木ヒルズライブラリー)を自費で契約し、土日はずっと勉強してました。自宅にあったテレビは、勉強の妨げになると思い捨てました。
さらに、会社の制度でグロービスのミニMBAコースにも通わせていただき、経営に関する幅広い知識を学びました。
当時は周りがハイレベルすぎて半べそをかきながら勉強したのですが、この時に体系的に学んだ経営に関する知識は、いまユニークワンを経営する上で非常に役立っています。
成長というのは、絶望するほど辛い時期を乗り越えてこそ得られるものなんですよね。
経営企画部に配属された2年目には、ドコモのリブランディングを目的とした「Change-Dプロジェクト」に携わりました。
会社の目線だけではなく「社会」「人類」「100年後」といった、さらに高い目線、広い視野が求められる業務でした。
この経験は、ユニークワンを創業する際、存在意義や企業理念、将来像について考えるヒントになりました。
いまこうして振り返っても、上司に恵まれたこともあり、有意義な会社員生活を送っていたと思います。もし退職せずNTTドコモに残っていたとしたら、それなりのポジションまでいけた自信はあります。
それなのに、結局新卒で入ったNTTドコモは、10年間働いた後に退職しました。
「なんでドコモをやめたの?もったいない」と、これまで100回以上聞かれた気がしますので、理由を簡単に説明します。
新卒で入社した当初、私はNTTドコモが世界のITを牽引する企業だと信じていました。
私が就職活動を開始した1999年。当時のNTTドコモは世界時価総額ランキングで3位だったので、それほど無謀な推測でもなかったように思います。
しかし、現実は異なりました。NTTドコモをはじめ国内企業は世界のIT革命についていけず、気づけば世界のトップはGoogleやApple、Facebookなど、いずれも海外企業。
日本はすっかりIT後進国になってしまいました。
この状況は、自分ひとりがドコモで頑張ってもどうにもならない。
仕事盛りの30代〜40代をこのまま過ごしていいのかと思い始め、定期異動のタイミングをもって退職をしました。
最初は起業志向ゼロ。地元新潟で痛感した「地方のIT化の遅れ」が起業の原動力に
NTTドコモを退職した後は、経営コンサルティング会社(マッキンゼー、ボストンコンサルティング等)かコンテンツ提供会社(楽天、DeNA、Gree等)に転職しようと思っていました。
しかし、実家で父親が経営していた農業法人「カガヤキ農園」を手伝うのも面白そうだと考え、新潟へ戻ることにしました(父は私が中学生の頃、個人農家から農業法人として起業していました)。
新潟の実家に戻り、カガヤキ農園に入社したものの、農業生産に関して私はズブの素人。幸いカガヤキ農園には農産物直売所やカタログ通販などを行う販売部門があったので、私はそちらの配属となりました。
入社した後は、ネット通販の強化や社内業務のシステム化など、農業法人のIT化に取り組みました。後に農業におけるIT導入の成功モデルとして評価され、経済産業省から表彰されることもありました。
私が新潟で働き始めて最もショックだったのが「地方のIT化の遅れ」です。
東京が世界からIT化で遅れを取っているのに、地方はさらに遅れていることに衝撃を受けました。
例えば、私がカガヤキ農園に入社した頃、社外とのコミュニケーション手段は電話とFAXでした。首都圏ではビジネスチャットが話題になり「メールの時代は終わった」と言われ始めていたのに、カガヤキ農園では「メールの時代が始まってすらいなかった」のです。
また、カガヤキ農園の通販サイトのリニューアルを県内のサイト制作会社に相談したこともあったのですが、びっくりするくらい知識が乏しかったんです。大学時代にサイト制作をしていた自分の方が詳しいかも?と思うくらいでした。
こうした節々で、東京と地方のIT格差が拡がっている現状を知り「地方の遅れをなんとかしなければ」と強く実感するようになりました。
正直、Uターン当初は起業する気は全くありませんでした。
しかし、地方のIT化の遅れを目の当たりにしたショックが起業の原動力になったんです。
これがユニークワンのミッション「地方のIT化をリードする」に通じてます。ここから、東京の企業に負けないようなインターネット広告会社を地方で実現するための挑戦が始まりました。
地方で生まれ育った自分だからこそ、地方のIT化をリードする会社を創っていく
2014年に私が一人で立ち上げたユニークワンも、2021年で8期目。
ミッションに共感してくれた心強い仲間が加入し、現在は30名ほどの規模になりました。
地方で生まれ育った自分だからこそ、地方におけるIT化の重要性を日々痛感しています。これからも「地方のIT化をリードする」というミッションの実現に向けて、お客様の満足度を高めながら着実に売上を伸ばしていく予定です。
ちなみに私が想定する「地方」というのは新潟だけではありません。日本全国、ひいては世界各国に「地方」は存在します。
これまでは新潟・金沢・仙台・東京といった東日本エリアを中心に展開してきましたが、今後は日本全国への展開、さらには世界各国への展開を目指していく所存です。
…ここまでお読みいただき、ありがとうございました。引き続きnoteを更新していきますので、よろしくお願いいたします。
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