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問題解決あるあるコラム#11:お客さんがいいって言ってますは免罪符なのか?

こんにちは。いちおか@問題解決サポーターKAIOS代表です。

問題解決あるあるコラム第11回のテーマは、「お客さんがいいって言ってますは免罪符なのか?」です。前回は「マネジメントがいいと言った」と言っていましたが、今回はその上級バージョンですね。水戸黄門の印籠よろしく、「お客さんがいいって言っている」と言ったらもう誰もがひれ伏す状況です。これさえにぎってしまえば、鬼に金棒です。でも、果たしてそれは、本当にいいのでしょうか?


お客さんがいいって言っている時には「仕方ないから」がついている

この、最強のフレーズが使われるケースはどんな時でしょう? 多くの場合、社内説得が必要な場面です。現状に対し、「本当はもっと要求はあるけれど、現時点ではそれが実現できそうもない」もしくは「やりたくない」時に、このフレーズが炸裂します。大抵の場合、議論になっている事象の担当者や責任者が、現状を相手や周りに認めてもらうために発動します。これは、プロジェクトチームが相手の場合もありますし、工場やマネジメントが相手の場合もあります。そして、この言葉を使う背景には、「もうこれ以上面倒くさいことはやりたくないので、今のままでいいじゃん」という発言者側の都合がありあます。「お客さんが、こういうことを望んでいる、だからなんとか実現してくれないか」という登場の仕方ならお客さんも喜びますが、「もうこれ以上はいいって、お客さんもそう言っている」という登場では、お客さんもガッカリですね。そして、そう言う為の「言質」を取られる時はもっとガッカリでしょう。しかし、「お客さんがそう言っている」というのなら、言われた相手も引き下がるしかありません。

説得するには「誰か」が必要

このように、「お客さんがいいと言っている」という言葉は、多くの場合、妥協の産物であり、いい場合も悪い場合もありますが、ひとつの議論の落とし所になります。でも、そんな結論の出しかたで、本当にいいのでしょうか? 我々は、ものごとを結論づける時に、「誰か」に登場してもらい、その「誰か」の意見として結論を導き出そうとする傾向があります。そして、その際できるだけ速やかに、かつ反対の余地の生まれないような「誰か」を引っ張り出そうとします。つまりこれは、「自分で説得できない代わりに「誰か」の力を借りて引き下がらせる」という戦略です。まあ、「誰か」はその場にいないですし、誰も傷つかない、ある意味理に適った手段ですが、その合意形成は関係者の「納得」を伴わないので、いつかどこかで破綻します。そして、その破綻を迎えた時には、責任もその「誰か」に負わせるのでしょうか? きっとそうなのでしょう。そして、最後は「お客さんの言ったことだから仕方ない」と無理やり納得する(させる)のです。

他人のふんどしはらくちん

人は、一度上手くいったことは再現性を出そうとします。しかも、「誰か」のおかげで上手くいくのなら、労力も省け、とても効率的かつ効果的に再現性が生み出せます。でも、結局それは「他人のふんどし」であり、自分の力で成功した訳ではありません。第2回のコラムでもお話しした「説明責任」の放棄そのものです。人は、どんなに不器用でも、一生懸命に自分の考えを伝え、実行しようとする人には好感を持ち、協力したいと思います。「お客さんはもうこれでいいと言っていますが、私は元々の希望をなんとか実現したい」そう伝え、周りから協力を得て、なんとかそれを実現できた時には、お客様も喜び、あなたを信頼してくれるようになるでしょう。ただ、残念ながらそれが、「余計なこと」だったりする場合もありますが(笑)

いいって言ったっけ?

「誰か」の力ばかり使って、自ら「説明責任」を果たすことから逃げていると、いつか「いいって言った」はずの人から、「そんなこと言ったっけ?」と、最後の最後にハシゴを外される場合もあります。そりゃそうです、誰しもみんな、それぞれ立場があり、都合があります。そんなに都合よく使われ続けてはくれません。結局は、自分たちの言葉で、相手や周りを説得しなければなりません。いつか必ず、「説明責任」を果たさなければならない場面がやってきます。「説明責任」からは、誰も逃れられないのです。そのための準備を怠ると、その時「楽」した分の苦労が、必ず自分の所に戻ってきます。

まとめ

いかがでしたか? 結局、我々は自分の判断に「自信」が持てないので、いざ、責められた時の保険のために、「他責」にして責任から逃れる準備をしているのですね。これは、本当の意味での「リスク回避」にはなりません。本当の「リスク回避」は、自ら「説明責任」を果たし、「リスクの元」を絶つことです。最初から自信のある人なんていません。自信を獲得するには、繰り返し経験を積むことです。失敗を恐れず、自らの言葉で語ってみましょう。言葉を発しなければ、「説明責任を果たす」というゴールには、いつまで経ってもたどり着けません。

今回も最後までお読み頂きありがとうございました。
次回のテーマは「品質規格〜我々の心は試されている?」です。
次回もお楽しみに!


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