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問題解決あるあるコラム#36:答えがわかないと不安

こんにちは。いちおか@問題解決サポーターKAIOS代表です。

問題解決あるあるコラム第36回のテーマは、「答えがわからないと不安」です。これは誰もが持つ感情なのではないかと思います。テストの答えだけでなく、日々の生活の中で自ら生み出した疑問に対しても、誰かから問われたことに対しても、納得した答えが出せないと「不安」に包まれてしまいます。ここでポイントとなるのは「誰が」納得するか? です。ここが導き出せれば「不安」から解放されるかもしれません。では、一緒に考えてみましょう。


「不安」はどこからやってくる?

答えがみつからない「不安」はどこからやってくるのでしょう? 我々は、人それぞれに悩み、考え、さまざまな決断を日々くり返しています。自分にとっての問題が大きければ大きいほど、悩んだり考えたりする時間は長くなります。そうして導き出した結論も、「自分」で納得できたとしても心のどこかではまだ「不安」です。その結論を自分以外の誰かに「それでいい」と言ってもらえてやっと不安から解放されるのです。つまり我々は、誰かに認めてもらえて初めて「安心」を得られる生き物なのです。

「不安解消」はFirst priority

FMEAの回でもお伝えした通り、我々は常に「リスク回避」をしています。「不安」は自分を精神的に窮地に追い込む大きな「リスク」です。そして、そのリスクを回避するためには、常に誰かの「承認」が必要になります。「いい」って言ってくれるだけで不安が解消され、「安心」して過ごすことができます。なので、この「安心」を得るためならばどんな手段でも取ります。そして、なるべく手っ取り早く(効率的に)手に入れようとします。

答えを欲しがるのは答えを知りたいからじゃない

テストでも与えられた課題でも、何でもかんでも、みんなすぐに答えを求めます。初めて書く書類なら「記入例」を求めます。書くことがわからなかったり、間違えてしまうと自分が傷つくからです。「自分が思ったことを書いてみて」と言われても、それが的外れだったらどうしよう、と「不安」になってしまいます。この時点で「答えを求める」目的は、「答えを知る」ことではなく「不安から逃れたい」ことに入れ替わっています。そして、その不安から逃れるために、強く「答え」を求めます。自分が出した答えを、誰かに「いい」と言ってもらうことより、誰かが「いい」って言っている答えを手に入れる方が、確実に「安心」を手に入れられるからです。

答えのない未来より答えのある過去

開発の現場でも「FMEA」より「FTA」の方が好き、とか得意、という方が結構な確率でおられます。これも、起こるかどうか分からない、そして計画した対策が効果的なのか確信を持てない「FMEA」よりも、起こってしまった事象からその原因を突き止めていく「FTA」の方が「安心」だからです。「起こってしまったこと」なら既にそこに「答え」があるのですから、こんなに安心なことはありません。

自分の決断で「安心」するためには「説明責任」を果たす事が必要

では、我々は常に自分以外の誰かに依存しなければ「安心」を手に入れられないのでしょうか? そんなことはありません。第2回のコラムで書いたように、「説明責任」が果たせれば自分の決断に自信を持つことができます。「説明責任」を果たすことは、「第三者が納得すること」が条件ですので、「結局他人に依存しているではないか?」と思われるかもしれませんが、この、「説明責任を果たす」ことが、自ら「安心」を手に入れた「成功体験」となり、その行動をくり返すことで「『説明責任』を果たせば『安心』が手に入る」という未来を予測できるようになります。そして、その行動=「プロセス」を通じて、「安心」できるようになるのです。そうなれば、第三者の「納得」は後からついてくることになり、それが「自信」となり、次の「不安」にも立ち向かっていけるようになります。しかし、この「不安」を恐れるあまり、立ち向かうことなく他人からの「答え」を求め続けている限り、ずっと「答え」を必要とし続けるのです。

まとめ

いかがでしたしょうか? 我々人間の持つ「リスク回避」能力はとても強力で、どんな手段を取ってでも「確実に」リスクを回避しようとします。人間の感じるリスクの内、最も優先度の高いのが「不安」であり、「不安解消」のためには自分以外の誰かの力が必要です。そして、この「不安解消」を実現することにも「効率」を求める結果、リアクションとしての「いいね」を得るよりも、「最初から『いいね』がついた結果を手に入れる」という手段を選ぼうとするのです。これは、「リアクションで『いいね』がもらえないかも知れない」というリスクも回避する、二重のリスク回避でもあります。この心理によって、より一層「答えを知りたい」という欲求を喚起させてしまっているのかもしれません。安心する為に誰かの「答え」を求め続けることは、実は一生「不安」を持ち続けることと同じです。皆さんもそれでも誰かの出した「答え」を求め続けますか? 

今回も最後までお読み頂きありがとうございました。
次回のテーマは「未然防止は評価されない?」です。
次回もお楽しみに! 


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