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肩書を自虐的に捉えると驕らないで済む

多くの人は、年々偉くなっていきます。
ここでいう偉くなるとは、役職がついたり肩書がたいそうな物になっていく、という事です。
しかし、忘れてはいけないのは、それでその人自身が変わったわけではないという事実です。

大学生のときに、サッカーサークルのキャプテンに就任しました。
キャプテンは、みんなに試合の日程を連絡します。
そして、雨の日などの人が集まらない時に「何とか出てくれ」と頼み込んだり、サークル外から助っ人を連れて来て、試合が出来る人数をかき集めるのも大事な仕事です。
はたまた、大会にエントリーしたり、部費の集金をしたり、大会後の飲み会をセッティングしたり・・・。
要するに、雑用係でした。
それでも、サークルの実態を知らない友達には「キャプテンをやるなんてスゴイね!」と言われて、「いやー、まぁ、大変だけどね・・・」などと含みを持たせたりしていました。

あれから十数年。
先生。
院長。
会長。
役員。
様々な役職につきました。

それぞれの実態は、そんな素晴らしい物ではありません。

大学を出たての若者が、親よりも年上の方から呼ばれる「先生」
自分を含めて二人しかいない動物病院の「院長」
飲み会をセッティングするのが主な仕事である「会長」
まさにあらゆる雑用係の「役員」

自分なんて、そんなに偉くないぞ!
と常に思って、調子に乗らないことが大事です。
そうすると、地に足をつけて、謙虚に生きられる気がします。

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