№5711:「知識のストーカー」はやめろ!
こんにちは。遠藤です。
※過去分(4740回分)はこちらにあります。
さて、先般読んだ本に「独善的と独創的の違い」みたいなことが書いてあって非常に腑に落ちました。
何事においても「自分の頭で考えること」は大切です。
が、これをひたすらやると独善的な方向に行きかねません。
独善的とは「自分の考え方が正しい」「自分以外の考え方は間違っている」という状態になることです。
昔から「恋は盲目」と言いますが、人間というのはひとつのことを信じ込むと他のものが見えなくなってしまいます。
その本には「相手がひとりしかいないと、他が見えなくなって、すべての秩序を壊してしまう」と記されていましたが、まったくそうだと思いました。
ストーカーがそうですね。
特定のひとりのことしか見えない。
そこに固執する。
そして秩序を壊す行為に出る。
最悪です。
これは「理論」でも同じことが言えます。
ストーカーのように偏った理論(疑似科学)を信じ込んでしまう人がいます。
まわりから見れば「ただの変わり者」です。
私は不思議で仕方ないのですが、こういった「偏った人間」を支持する人がいます。
こうなってしまうのは何故か?
それは「視野が狭い(情弱)」ということに尽きるのですが、もう1つの異なる観点は「人間的な謙虚さを失うこと」です。
その本には以下のようにも記されていました。
「自分だけを特別視するのは思い上がりである。他に優れたものはいくらでもある。にもかかわらず、小さな独創にかまけて、これを宇宙化のように錯覚し、先人の業績が目に入らなくなるのである。ものを考える人間は、自信を持ちながら、なおあくまでも謙虚でなくてはならない」
一字一句が的確な指摘だと思います。
現実を見ても、少なくない人が年齢なのか、仕事上の自信(過信)なのかわかりませんが、ある一定の時点で思い上がります。
が、その末路は「秩序を壊すこと」にしかなりません。
その人であり仲間は孤立し、自分たちの自己満足感だけを満たしてくれる「小さなムラ」の中で生きることになります。
それでもやっていくことは可能ですが、そのムラは後進世代に受け継がれることはありません。
今を仕切っている中高年たちでムラは過疎化していきます。
会社も同じこと。
思い上がっていれば、時間軸の中でジワジワと衰退していくことになります。
そうならぬためには何が必要なのか。
常にそれを考えるべきだと思います。
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