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№4936:「組織の論理」から脱却して「個の論理」を起点に生きよ!

こんにちは。(株)個のサポーターズクラブの遠藤です。
※過去分はこちらにあります。

2021年3月24日(水)~3月30日(火)の期間でFBL大学第16期スタートコースの募集を行ないます。
※今回は「限定5名」の募集です。

それに先駆けて3月10日(水)~16日(火)の期間はYouTube上で動画メッセージをお送りします・・と言いましたが撮影が追いつかなくなったので・・昨日までとします。

今日と明日は本日配信した有料メルマガ「思考変容のスイッチ」に記したことを紹介します。

通常は(読者の皆さまのために)数日空けるのですが、この話は早めにしておきたいと思ったのでご容赦くださいませ。

そこで紹介した本には「組織という環境はリーダーシップを育むには必ずしも適していない」と記してありました。

これにはまったく同感です。

で、その理由が以下のように記されていました。

「どんな人でも組織に入るまでは『あれをしたい』『これをしたい』という希望を持っている。会社に入ったばかりの新人や若い社員たちは多少なりとも自らの『内なる声』に耳を傾け、この論理に従って生きようともがく。しかし、組織の中で生きるうちにそのことを忘れてしまう。『内なる声』は何と叫んでいたのか、自分という『個』は本当は何をしたかったのかを忘れ、与えられたポジションに収まって組織のために働くようになる。そんな人たちが皆さんの属する組織にはたくさんいるのではないだろうか」

そして指摘は以下の核心へ向かいます。

「組織という環境はリーダーシップを育むには必ずしも適していない。組織の中で生きる『個』に対して組織は強い同化力を及ぼすことで個の論理を見失わせてしまうことがあるからだ。私たちには組織の論理から脱却して、個の論理を起点に生きることが求められる。少し大袈裟なようだが結果においてリーダーになるということは大人になってから後も、また中高年以降も成長していることを実感できる有望な発達経路の一つでもあるのだ」

本当にその通りでしてね。

日本のカイシャでは「同化していくこと」を「チームワーク」とか「強い紐帯」とかいって正当化させています。

まぁ本人達がそれで幸せなら結構なことですが、今後は間違いなくそういった組織(カイシャ)からは人が離れていきます。

同時にそんなところに埋没している人は次世代層に対してまったく影響力を発揮できなくなります。

そういう人は部長とか課長という「役職者」であって「リーダー」ではないのです。

紹介した本にはそのことも明確に示されていました。

明日は「何故、部長とか課長がリーダーではないのか」を記します。

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