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№5107:私が考える「パワー」とは
こんにちは。遠藤です。
※過去分(4740回分)はこちらにあります。
さて、昨日は多くの「お誕生日メッセージ」をいただき、ありがとうございました。
SNSの時代はありがたいやら、大変やら(笑)
朝からスマホがパンクするかと思いました。
で、その中に以下のメッセージが。
「遠藤さんからは年齢不詳のパワーを感じます・・笑」
こう言っていただけるのは何よりもありがたいことです。
私は「見た目の若々しさ」、所謂「アンチエイジング」的な概念が好きではありません。
とはいえ、FBL大学の講座でも「見た目づくりは最低限の自助努力」と言っているので、それなりに気を配ってはいます。
が、それも「それなり」です。
それ以上に重視しているのが「パワー」です。
だから「パワーがある」と言っていただけると嬉しいのです。
念のため言っておくと「筋力的なパワー」ではありません。
「パワー」とは「エネルギー」のようなものです。
が、「エネルギー」というとスピ系とかジコケイ的な人たちのようでいかにも気持ちが悪い。
そもそも私は「エネルギー」とか言っている人たちに「エネルギー」を感じたことがありませんので。
正直、「人に見えないものが見える」ということであれば病院へ行った方がいいのではないかと思います。
だって完全に病気ですよね。
人に見えないものが見えちゃうんだから。
で・・。
「パワーとは何か」と言えば「相手を突き動かす力」のことです。
※と、私は思っている。
当然のことながら、これは「えいっ!」とか言って相手を動かすことではありません。
相手が勝手に自動的に動くことです。
相手を動かすことなんてできません。
人を動かすことなんてできません。
相手や人が勝手に動くんです。
が、人はなかなか自分からは動かないし動けない。
故に命令とか強制が有効になります。
こうすれば人は動きます。
が、こうやって命令で動いた先に「幸せ」とか「自分の人生」があるかと言えばありません。
「自分の人生とか未来は自分の意志で選択することによって初めて拓けていくもの」だからです。
ポイントは本人がそこに気づくかどうかです。
そこに気づいて、自分で自分を動かさない限り「自分の人生」はスタートしません。
が、「正解当て教育」に洗脳されている私たちは他人に答えを求めるし、常に答えを待っています。
組織に安定、安住することを自己正当化するようになっていきます。
その結果が「他人の人生」であり「会社の人生」です。
いずれにせよ、もうしばらくは「年齢不詳のパワー」を感じてもらえるように頑張りたいです。
それを感じていただけなくなったときが「引退の時」だと思っています。
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