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№5493::「良い制限」と「悪い制限」

こんにちは。遠藤です。
※過去分(4740回分)はこちらにあります。

さて、土曜日は(基本的に)いただいた質問にお答えしています。

【今週のご質問】
「一部の人たちで重視されている『制限』について、どのように捉えていますか。例えば、ダイエットする際には『制限』が必要だと思いますが、それも行き過ぎれば害になると思います」

【私の考え方】
私は「制限は悪である」いう考え方をしています。

が、こう言い切ってしまうと誤解が生じるので「良い制限」と「悪い制限」という観点で私見を述べます。

「良い制限」はスポーツに代表される「ルール」です。

例えば、バスケットボールでボールを持ったまま3歩以上歩いていいということにはならないし、野球でいきなり三塁に走ることも認められません。

いずれも「ルール違反」です。

では何故、「ルール」が存在しているかというと「ルールの先に自由や楽しみや喜びがあるから」です。

人生も同じです。

「ルールは楽しむためにある」というのが私の考え方であり「良い制限」の定義になります。

一方の「悪い制限」はこの逆です。

「行動制限」「肉類制限」「糖質制限」に代表されるように「制限派」の人たちにとっての「悪者」があり、それを排除しようとします。

「あれは身体に悪い、これは身体に悪い」と言っている自称専門家たちも同じです。

その先にあるのは「不自由」です。

これが「悪い制限」です。

もっともやっている人たちはそうは思っていません。

悪徳新興宗教と同じで「自分たちは正しいことをやっている」「制限されることで自由を手にしている」と思っています。

こうなったらもう「洗脳完了」なのでどうしようもありません。

偏った人たちで自己肯定しながら仲良くやっていけばいいと思います。

が、そういう自分たちの姿がまわりにどう映っているか、まわりからどう見えているかはよくよく考えてもらいたいものです。

それに気づけば「洗脳」から脱することができるかもしれません。

ちなみに「ダイエットに制限が必要だ」というのは「制限派」の常套句です。

まっとうなダイエットにおける「制限」は上記の考え方に基づけば「ルール」です。

が、このことが整理できていないと「たしかに何かを達成するには制限が必要だな。ということは食事にも(あれもダメ、これもダメ的な)制限が必要なのだな」と誤って理解してしまいます。

大切なのは「中庸」です。

その中で「調整」をすればいいのであって、くれぐれも「制限」という偏った考え方には陥らないで欲しいと思います。

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