№5714:自分が「部分であること」を自覚できない人間は無責任
こんにちは。遠藤です。
※過去分(4740回分)はこちらにあります。
さて、本日はFBL大学の第1週目のオンラインセミナー配信日です。
その中から一部をご紹介。
※講座内容はスタート期によって異なります。
私は「誰もが必ず何かの部分である」と考えています。
これは偉人の「自分という存在は独自であり部分である(自分=独自+部分)」という考え方に強く共感したことがきっかけです。
わかりやすく言えば、私たちは宇宙の部分であり地球の部分です。
部分が欠けたら全体は成立しません。
だから、私たちは地球に貢献する責任があります。
が、こう言ってしまうと壮大すぎるので、これを「仕事と家族」で考えてみます。
私であれば仕事においてはスモールジムの部分であり、FBL大学の部分です。
したがって、私がおかしなことをすれば全体であるスモールジムやFBL大学に迷惑がかかります。
家族においては「夫」という部分であり、「父親」という部分です。
この「部分である」という自覚が、常識範囲内で良好な責任ある行動を誘発するとともに、人間としての成長につながります。
が・・
大半の人は「部分」、正確には「自分=独自+部分」ということが理解できていません。
したがって、以下の3つのようなタイプが出現します。
1つは「自己中心的な人」です。
自分はこう思う!、自分はこれがやりたい!
何事も自分!自分!自分!
こういう人は「独自」ではなく、単なる「我欲」です。
2つは「全体へ及ぼす迷惑を省みない人」です。
こちらは自分!自分!ではありません。
「やるべきことをやらない」のです。
わかりやすく言えば「サボる人」「怠ける人」です。
自分の怠慢が全体に迷惑をかけることが理解できないのです。
こういう人はチームに加わってはいけません。
3つは「単なる部分の人」です。
会社員の推定99%はこのタイプです。
はっきり言えば、「部分」というより会社の「部品」であり「歯車」です。
「独自性」などまったくありません。
40歳を過ぎれば同じような雰囲気になり、同じような考え方になります。
例えば「御社の理念に感銘を受けました」と言って入社した人がいたとします。
ところが、入ってみたら「我」が出てくる。
やるべきことをやらない。サボる。
言われたことしかやらないで、部品に甘んじる。
実際はこういう人ばかりという印象です。
最近は「自分らしさ」なんていう心地いい言葉が一人歩きしています。
その正しい意味は「独自であって部分である」ということです。
特に「自分が部分であること」を自覚できない人間は無責任だと私は思います。
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