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№5070:持論に固執するほど嫌われる

こんにちは。(株)個のサポーターズクラブの遠藤です。
※過去分はこちらにあります。

さて、今日から3日間は有料メルマガでも紹介した「ニーチェの言葉」から面白いものを毎日1つ紹介します。

1つ目は「持論に固執するほど反対される」です。

タイトルの「嫌われる」は私が変えました。

何故なら実際に嫌悪されているからです。

ニーチェの主張は以下です。

「持論というものを強く主張すればするほどより多くの人から反対されることになる。大体にして自分の意見に固執している人というのは裏側にいくつかの理由を隠し持っていたりする。例えば自分ひとりのみがこの見解を思いついたとうぬぼれている。あるいはこれほど素晴らしい見解にたどり着いた苦労を報いてもらいたいという気持ちがある。あるいはこのレベルの見解を深く理解している自分を誇りにしているという風な理由だ。多くの人は持論を押す人に対して以上のようなことを直感的に感じてそのいやらしさに生理的に反対しているのだ」

「まったくその通り」としか言いようがありません。

このタイプの人間って「私だけが本当のことを知っている」みたいな顔をしています。

で、ちょっと潮目が自分の方を向いたとみるや「やっと時代が自分に追いついてきた」とか言い出す。

が、時代が追いついてきた割にはその後も全然、その主張はマジョリティにはならない。

何故ならその正体が「大差がないこと」「どっちでもいいこと」に過ぎないからです。

「大差がないこと」「どっちでもいいこと」の細部を重箱の隅をつつくかのようにほじくり返しているだけだからです。

さらに大事なポイントは「こういうタイプの人は主張そのものが否定されているのではない」ということです。

理論等には一考の余地もあります。

ごく一部を除けば全面的におかしなことを言っているわけではありません。

そうではなくその傲慢で偏った人間性が拒絶されているのです。

まさに「多くの人は持論を押す人に対して以上のようなことを直感的に感じてそのいやらしさに生理的に反対している」ということです。

が、それに気づかずに一緒になって行動してしまう人も数多い。

そうなるのは自分もその資質を持っているからです。

だから「まわりを見ればすべてがわかる」。

「その人の『人となり』を見たいのならまわりにいる人を見ろ」というのは実に正しい指摘だと思います。

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