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50年後に向けて写真を撮るということ

おはようございます、フリーランスフォトグラファーのまちゃるです。

少し前ですが、実家の掃除をしていたらだいぶ前になくなった祖父の若いころの写真が出てきました。
噂には「おじいちゃんはかなりのイケメンだった」と聞いてましたが、本当にイケメンで「自分は何で似なかったんだろう」とちょっと残念になりました。

そんな話はさておきですが、この出来事があって改めて考えたのが

「記録としての写真の大切さ」

「何年後かに向けて写真を撮るということ」

です。


写真教室で生徒さんから「なかなか周りの人から写真を誉められない」とか「見栄えのする写真が撮れない」と質問が出されますが、そういう時にお応えするのが「その時に評価される写真を撮るのもいいですけど、何年か後に見返した時に思い出が蘇ってくる写真も大切ですよ」ということです。

この「何年か後に向けた写真」を意識するというのは、今の写真界隈でいろいろと議論のある「インスタ映え」や「ストリートスナップの是非」という問題を考えるうえでの大事な材料になると僕は思っています。

確かにインスタグラムで求められるような一瞬で目を引く「映える」写真はウケがいいです。写真の1つの側面としては重要な技術なのでしょう。
ただ、写真などの表現手段は何年も先まで残り、見返した時に思い出やその時の状況が蘇ってくる記録性が本来の目的です。

「写真は将来も残り続けるもの」という視点を忘れて、その瞬間だけにウケるものを追い求めるのはどこか虚しいですし、写真の魅力を半減させてしまうのではないでしょうか。
どんなに社会が発展しても、技術が進んでいっても写真が愛され続けていくには「何年も先に思い出を伝える」という視点が多くの人に広がればいいなと思います。


そしてもう1つのストリートスナップの問題です。
この前の自分の記事でも触れましたが、富士フィルムのPV動画から出発してストリートスナップの是非がいろいろと議論されています。

個人的にはああ言った攻撃的というか一般の方に明らかに迷惑がかかるような撮り方は論外だと思いますし、あの動画を何の考えもなく公開してしまったことはスナップ写真全体に悪影響を与えてしまったことは言うまでもありません。

しかし誤解を恐れずに言えば「ストリートスナップは人間の歴史に必要なもの」です。
広い意味で言えば、報道写真の一部やジャーナリズム写真もストリートスナップの中に含まれますが、「何年も先に過去のことを伝える」という写真の目的が色濃く表れているのがスナップ写真の分野です。

もちろん今回のような騒動を起こさないためにも、マナーの確立や肖像権や表現の自由に対する議論は必要不可欠でしょう。
その上で、街の様子や文化、生活などを後世に伝えるストリートスナップの意味が評価され、少しでも受け入れられればと思っています。


インターネットが発達し、SNSが多くの人に使われ、写真の分野も一気にデジタルやネット化していきました。
その中でより一瞬で目を引く写真、誰かにシェアできる写真が人気を集めるのは致し方無いことだと思います。

その一方で、瞬間的に消費されるだけの写真に埋め尽くされてしまうと写真が持つもっと大きな魅力や可能性が失われてしまうのではないかと僕は心配しています。

みなさんが写真を撮る時に「何年後かにこの写真を見たらどう思うかな?」「何年後かにこの写真を見せたらどう感じてもらえるかな?」とときどきでも思い出してもらえるといいかと思います。

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