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旅行記⑥:ガーナ(23年1月)

ガーナ2日目。

奴隷貿易の拠点だったケープコースト城へ。

アクラから車で3時間半ほどかけて向かう。

出発が遅れたこともあり着いたらランチタイム。


友人の話や、初日のランチ・晩御飯などでかなりビビっていたのでガーナには美味しいものがあまりないという認識だったが、観光地(唯一?)にはある程度あるみたい。パスタと魚、サンドイッチを注文してみんなでシェアして食べた。


その後はトゥクトゥクで周辺観光。

日本人でガーナのサッカーチームで頑張っている人がトゥクトゥク事業に出資していて、自分の看板を乗せて宣伝も兼ねて活動しているらしい。。ほんといろんなことを考える人がいるなあ。

アフリカの日本人コミュニティはある意味小さいので、異国で孤軍奮闘する仲間としてみんなで支えあっているような感じに見えた。


周りの人は結構大事でリスクテイクのハードルが下がったりとか、アドバイスをもらえるし、感覚もバグってくるのかもしれない。



ケープコースト城ではガイドが付いて色々と案内してくれた。


ケープコースト城


奴隷が入れられていたという洞窟のような場所。


買い手がついた奴隷はここで出荷まで長くて3ヶ月を過ごしたようだ。


この洞窟は光もほとんど入らないような場所で、地面の真ん中に一つの溝のようなものがあり、ここに排泄していたが、それが溜まって溢れ出てかなりの高さになっていたようだ。

想像しただけで吐き気がするような空間だ。

一定の時間をその異様な空間で過ごして生き残ったものだけが出荷され、ヨーロッパに渡り、プランテーションで奴隷として働かされたようだ。


ホロコースト博物館といい、ヨーロッパ人は本当に酷いなと思う。


今は人権だなんだ言って人権主張が一番激しいが、それは過去の贖罪を晴らすためとしか思えない。

ここを訪れる白人はどういう気持ちなのだろうか。

ここではあまり語られなかったが、実際にはガーナ内での民族争いに負けた方が買った方に売られていたようで、白人だけが悪かったというよりも一部の黒人が利益を貪っているような構図だったみたい。

特定の集団に利権が集中する構図は極端な歪みを引き起こすし良くないことは歴史が証明しているな。それゆえの民主主義が今の段階での最適解なのだろう。


ヨーロッパ人は酷い、と言ったが、戦時下の日本も色々と酷かっただろう。この辺り中国や韓国で日本がどういった行動をしていたかきちんと理解したい。客観的に描かれた書物が少なくて理解が難しく(陰謀論なども多い)避けていたところがあるが向き合いたい。


ツアーの終わりにはもう埋められた通路を前に、「こうして奴隷貿易は終わった」、的な締めくくりだったが、「本当に奴隷貿易は終わったのだろうか?」という問いを投げかけたくなった。



現在も形を変えて継続してアフリカの地に轍が残っているようにしか思えない。この地のガソリンスタンドは欧米系ばかりだし、日本の出光佐三がいかに偉大だったかを痛感した。


アクラに戻って中華を食べた。シェフは中国人のようでシャビーな雰囲気だがとても美味しかった。

これは自分がアクラ在住なら本当にありがたいだろうな。



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