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動機は不純でも良いのか?始めは不純でも続ける動機は善に変換しよう!

「不純な動機」
これは一般的にダメと言われています。

稲盛和夫氏の言葉にも
「動機善なりや、私心なかりしか」
という名言があります。

不純な動機では継続できない
とか、
不純な動機では人はついてこない

など、一般的には反対意見が多いです。

でも始める動機は不純でも良いと思っています。

始める動機は不純でも良い

何かを始めるときに、私心もなく、大儀のみだったら正直気持ち悪いです。
世の中を良くするため、世界平和のため、人に喜ばれるため、否定はしないですが、それのみで何かをし始める人ってほとんどいないと思います。

お金ではなく、名誉が欲しいとか、人に認められたいとか、モテたいとか、何かしら不純な動機があるはずです。

性格がねじ曲がっているかもしれませんが、人に喜ばれたいの背景には人一倍強い自己承認欲求があると思っています(笑)

欲に素直になる

欲には素直になることはとても大事だと思います。
草食系という言葉が流行っていますが、恋愛に限らず、仕事にも人生にも草食系の人が増えています。

本当に欲がないのであれば、それは生き方なので、良いと思いますが、多くはどうせ無理、頑張るのがめんどいなどといった「諦め無欲」が増えている気がします。

お金はほしいけど、頑張ってまではほしくない
成功したいけど、どうせ私には無理
などなど

生き方なので良いのかもしれませんが、人は挑戦することで成長すると個人的には思っています。
それは結果として成功しても失敗しても学ぶことはたくさんあるかと。

始める動機は不純でも良い

挑戦するキッカケになるのなら始める動機は欲でも良いというのが個人的な結論です。

不正な方法を使わず正当な努力をするのであれば、動機ではなく努力している過程のほうが重要だと思います。

動機は不純でも仮定は不純ではいけない

「お金持ちになりたい」
手段が人を騙してとか、犯罪を犯してとかではもちろんだめです。

お店を開業するとか、ユーチューバーになるとか、アフィリエイトサイトを始めるとかを正当な方法でやろうと思えば、それを通して世の中に貢献できるはずですし、結果をだすためには、それなりに努力は必要です。

動機が不純でも結果が善ならいい

動機がどうあれ、それを通して、自分が成長したり、人が幸せになったり、喜んだりするのであれば、動機はそれほど重要ではなくなります。

それよりも、行動することのほうが大事だと思います。

続けることで動機も善になると理想

動機が不純だと、なかなか人を巻き込めません。
始めは動機が不純でも、人が幸せになったり、喜んだり、世の中がよくなったりする瞬間に続けていればであるはずです。

その時に、続ける動機が善になると良いと思います。

これは偽りではダメです。
本当は動機が不純だったり我欲だったりするのは隠していてもバレます。

本当に心の底から思える瞬間があると自分自身も幸せになれると思います。

まとめ

ということで、私は自分自身が楽しそうという動機でいろいろやってみようと思っています。

北陸や関西に行きたいので、お客様を探そうと思っています(笑)

たぶんそんな遠方のお客様が増えてもうちの社員は喜ばないと思いますが…

どこかのタイミングで社員も幸せになり、お客様も幸せになり、自分も幸せになれる接点が見つかるはずだと信じています。

始める動機は不純でも、結果は善となるように行動し、続ける動機は善になるように。

色々悩むより行動しようと常に思っています。

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