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今日も電車は走るー「家遠い系大学生」の日常

ワイヤレスイヤホンを耳にぶっさす。マスクで顔半分を覆う。実家の扉に鍵をかけて、最寄り駅までテクテクと歩く。駅について改札を「ピッ」としてホームに突っ立って、電車が来るのを待つ。ほぼ無意識にポケットからスマホを取り出す。癖でついついスマホを見てしまうのは、よくないと思いつつスマホを触る。ホームに電車が来た。今日もたくさんの人間の事情を乗せて、朝っぱらから電車は走る。大学4年生の後期、単位もほとんど取り終えた僕は卒論を書いたりするために、気楽に大学へ向かうのであった。

通学時間は合計1時間半程度。実家暮らしのいわゆる「家遠い系大学生」は苦痛な通学時間をいかにして乗り越えるかという与えられし試練を毎日繰り返している。

毎日睡眠時間を削ってまで課題や勉強に取り組むのであれば、電車に乗っている時間=睡眠時間という学生も多い。実際、僕も電車の中で寝て虚無な時間をワープすることはよくある。しかし普段から睡眠はわりと確保している僕、そしてこれは「行き」の朝の電車。さっきまで寝ていたのだ。眠るという選択肢は無い。最寄り駅から乗ると、はじめは座れないことが多い。とりあえず音楽を聴き続ける。音楽を聴くと、心が癒される。森七菜さんが歌っている「スマイル」を「無表情」で聴く。電車の中で一人スマイルだと気持ち悪いから。そうやって周りの目を気にする。あとは乃木坂46やBISH、アジカン、最近のおススメはハンブレッダーズというバンドだ。気分が高揚しても無表情を徹する。

近鉄から地下鉄に乗り換える。ここでまた座れないと、しばらくまた突っ立ったままになるので、セカセカと乗り換える。周りの人も、きっと僕と同じ考えなのだろう、急ぎ足だ。人間は皆、座りたがりな生き物だなとつくづく思う。。

地下鉄の席に腰を下ろして、カバンを膝の上に乗せる。これで一息。一息したところでまた意味もなくスマホを触ってしまう。現代人の血のしからしむるところだ。

電車という窮屈な公共空間にいる以上、行動が制限される。ゆえに選択肢は限られる。僕の選択肢はスマホを見るか、音楽を聴くか、寝るか、本を読むか。大学で文学を勉強している僕は意識的にカバンから小説を取り出し、ページを開いた。我ながらちゃんとした時間の使い方だ。

時々、周りをキョロキョロする。電車内の人間は驚異的な確率で、スマホを触っている。スマホを触るのは行動が制限される電車内という環境はやることがなくて暇、手持ち無沙汰になるからだ。1人だと話し相手もいない。僕のようなキョロ充と目が合うのも嫌だろう。こういう時、現代人は視線をどこに集中させるかと言えば、やっぱりスマホの画面だ。

京都駅に着くと、地下鉄内は一気に「密」の空間になる。ソーシャルディスタンスなんぞ言っていては電車に乗れやしない。そこは暗黙の了解ということだろう。周りに気を配るべき人がいるかどうか、気を配る。乗客は奥から詰めていく、カバンは邪魔にならないよう前で抱える、ペチャクチャと煩くしないなどの最低限の常識を持って、乗らなくてはいけない。周りの人に平気で迷惑をかけるような人間には絶対なりたくない。気を遣うので、自分の気力を使う。だから電車に乗るだけで疲れてしまう。はぁー。

電車の中は老若男女問わず色んな人間がいる。僕もその中の一人で、空気に溶け込む。朝の時間であれば通勤通学する人が多い。スーツを着たサラリーマンを見ては「社会人たいへんそうやなぁ。」と他人ながらに思う。これを何年も続ける社会人。人生は遠い。お疲れピープルである。

朝の電車内の人々の顔から憂鬱が伝わってくる。皆、僕と同じ無表情だ。逆に夜は夜で、電車内の人々は仕事や学校を終えて、無表情ながら疲れた顔をしているように見える。疲れた顔は誰しも何かしら頑張った後の勲章だ。毎日、用事をこなし、外に出て頑張っている現代人は凄い。偉い。

今日も疲れた。家に帰ろう。


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