実は終戦直前に起きた「宮城事件」がもし成功していたら【映画「日本のいちばん長い日」】
映画『日本のいちばん長い日』は、太平洋戦争終戦間近の1945年8月15日を中心に、日本政府内で繰り広げられた苦悩と葛藤を描いた作品です。この映画は、当時の日本がどのように終戦を迎えたのか、その決断の裏側にあった緊迫した状況を忠実に再現し、戦争の終結に尽力した人物たちの姿を描いています。
阿南惟幾の意図と行動の背景
史実に基づくと、阿南は戦争の継続が無意味であることを理解しており、天皇の終戦決定を最終的には受け入れる立場にありました。しかし、陸軍の一部には戦争を続けたいと考える強硬派が存在し、特に青年将校たちは感情的になりやすく、クーデターを起こす可能性が高かったのです。そのため、阿南は天皇の決断を完全に表立って支持することで、強硬派を一気に敵に回すリスクを避け、冷静な判断を促そうとしていました。
映画や原作で描かれている阿南の態度は、彼の実際の行動に基づいており、天皇の命令に従いつつも、軍内の動揺を抑えるためにあえて慎重な言動を取るという二重の役割を果たしていました。このような描写は、阿南が最終的に自決という選択をしたことと一致しており、自らの責任を全うする形で終戦の混乱を最小限に抑えようとしたと解釈されています。
226事件から繰り返される、青年将校と「聖断」との齟齬
終戦時に起こったクーデター未遂事件、特に宮城事件は、学校教育ではあまり詳しく教えられないことが多く、意外に感じる方も多いです。この事件は、終戦直前の極めて緊迫した状況下で、特に一部の青年将校たちが再び天皇の決断に反抗する形で行動した点で、昭和初期に起こった226事件との類似点があります。
1. 軍部内の思想的断絶
226事件と終戦時のクーデター未遂には、いくつかの共通点がありますが、その根本には、陸軍内での意見の断絶と複雑な派閥対立がありました。226事件の時期、若手将校たちは「昭和維新」を掲げ、腐敗した政治や財閥を打倒し、国家を再生させようとしました。その理想主義は終戦時にも一部で生き残っており、特に戦争が長期化する中で日本が厳しい状況に陥った時、彼らの中には「日本を救うためには最後まで戦うべきだ」という感情的な思いが強くなっていたのです。
2. 昭和天皇と青年将校の間にあった意志の齟齬
226事件での経験を経て、昭和天皇は青年将校たちに対する警戒心を強めましたが、彼らの思想は根本的には変わらず残り続けました。昭和天皇は226事件で強硬に反乱を鎮圧し、逆賊扱いする形で決着をつけましたが、それが全ての将校たちの心に深く響いたかというと、そうではありませんでした。226事件で処罰された将校たちの一部は、終戦時には既に処刑されており、新たな世代の青年将校たちは、その思想を受け継ぎつつ、より純粋な形で戦争終結に抵抗する姿勢を取ったのです。
3. 戦局の悪化と感情の高揚
終戦時における青年将校たちのクーデター未遂は、特に戦局が絶望的な状況にあったことと、彼らが軍人としての責任感と誇りを失いたくなかったという感情的な背景がありました。ポツダム宣言の受諾という決断は、天皇にとっては苦渋の選択であり、国民を救うための判断でしたが、青年将校たちの中には「徹底抗戦こそが国を守る唯一の道」と信じる者がいました。この信念は、226事件での「昭和維新」や「国体護持」といったスローガンの延長線上にあり、日本のための自己犠牲の精神が歪んだ形で現れたと考えられます。
4. 軍内部の教育とリーダーシップの欠如
もう一つの要因として、軍内部の教育とリーダーシップの問題があります。226事件以降、軍の教育は一部改正されたものの、戦時中の軍部では厳しい上下関係と命令の絶対遵守が強調され、若手将校たちの独自の思考や意見を抑制する仕組みが完全には機能していなかったのです。加えて、上層部が必ずしも一枚岩ではなく、戦争の終結方法や天皇の意志を巡って異なる解釈が行われていたことも、青年将校たちが独自に行動を決断する要因となりました。
仮にクーデターが成功していれば日本はどうなっていたか
歴史を学ぶ際に「もしあの時、あの出来事が起こらなかったらどうなっていたか」を考えることは、単に過去を知るだけでなく、未来の行動に役立つ洞察を得るための重要なシミュレーションです。『日本のいちばん長い日』の背景にある終戦間際のクーデター未遂事件は、特にこうしたシミュレーションにふさわしい題材です。以下に、阿南氏や他の上層部がいなければどうなっていたか、そして私たちが今後学ぶべき視点について考察します。
1. 阿南氏と上層部がいなければクーデターは成功したのか?
阿南惟幾やその他の穏健派上層部がいなかった場合、クーデターがどの程度成功する可能性があったかは議論の余地があります。しかし、いくつかの仮説を立てることができます。
a. クーデターが成功していた場合のシナリオ
もし阿南氏が青年将校たちを抑えることができなかった場合、または彼らを支持していたならば、終戦に至るまでの流れは大きく変わっていた可能性があります。具体的には、クーデターが成功し、天皇の「玉音放送」を妨害することができていたとすれば、日本は戦争継続を余儀なくされ、ポツダム宣言を拒否する形になっていたかもしれません。この場合、以下のような結果が予想されます。
連合国軍による本土侵攻のリスク: 終戦の遅れにより、アメリカを中心とする連合国軍は、さらに大規模な攻撃を日本本土に対して行った可能性があります。これは、広島や長崎に続くさらなる原爆投下の可能性も考えられ、一般市民に対する被害がさらに拡大していたかもしれません。
ソビエト連邦の影響拡大: 終戦がさらに遅れれば、ソビエト連邦が満州から日本本土への侵攻を進める機会が増え、日本が分割統治される可能性もあったでしょう。朝鮮半島のように、日本も東西に分割されるようなシナリオが現実となり、日本の戦後復興と民主化に大きな影響を与えたかもしれません。
感想
大人になるまで流れだけで見ていた近代史も時々勉強したくなる年齢になってきたのだが、学ぼうとすればするほど知らないことが出てきてなんだか困る。我々が受けていた教育は何だったのか問い直したくなることも歴史においてもしばしばだ。
あくまで学者や制作側が見せてくれる物語なのでセンシティブな歴史もあまり偏りすぎないように見た方がいいだろう。阿南氏に関しても本人の書き残しが少ないので最終的な意図に関しても諸説あると見ている人もいる。
作品も青年将校の彼らや陸軍、内閣と天皇においてもどこかを対立的に見せる演出もなく見やすかった。青年将校らの話も無条件降伏による、死より耐え難いものがあったのだろうと見ることもできるが、あくまで「国体護持」という実態のない矜持のような何に動かされていた時代についても考える余地もある見せ方だった。
セリフが早口で聞きづらいと不評もあるらしいが、全く気にならずキャスティングも脚本も文句なく良い映画だった。
こうした作品や物語を見ていて思うのは海外から一度日本を見ていた人ほど、国内の熱狂には冷めて見ている。吉田茂や昭和天皇、外交官で出てくる人物などはそれにあたる。
陸軍の血気盛んな若者ほどそれとは対照的だったのはその時代の象徴なのかもしれない。
現代ではそうした海外の学歴があるほど子供は日本から離して教育させる人が多かったり、政治家は外交を優位にするために利用される体質にさせられたりなど哀しい話しか聞こえてこないのも残念だが、彼らが現状の日本がよく見えているのも事実だろう。
個人でできることはこうした数少ない歴史資料作品も時々見ながら、そうじゃなかった未来の日本をシュミレーションする力をつけることが一つだと思う。
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