『あるがまま』が美しい

私の人生のテーマに、
『人は人としてあるまがまでいるべきだ。』
と掲げる。

今まで、小中高大、社会で様々な抑圧を受けてきた。
その中でどう乗り越えて、今の山本和哉が『ある』のか。を解き明かす。
抑圧といっても、イジメではない。
周囲の人達の悪気もない、無意識下での違いに対する寛容さがないことが抑圧と感じてきた。
『変わってるね』という一言、『おかしいやろ!』とか、笑ったりする。そんな何気ない言動、悪気がないからこそ、
私は、あるがままでいることが良くないのか??良いとしても、誰を責めればいいのか??
そんな思考が小さい時から巡り巡っていた。

小学校のころの、私の少し女々しいところが先生に女の子みたいに見えるよって言われた。否定された気がしたことを凄く覚えている。
中学のころに、サッカー部でコーチや仲間にアホやろ。とか、変わってると言われたこと。
高校のころに、薬中、イカれてる。と言われたこと。
社会人で、変わってるね。と100人いたら300回は言われたこと。

全てが自分の感覚に残っている。
こんな自分が良くないのか?と。

しかし、考えに変化が少しずつ訪れた
第一ステップは、

変わってることを笑いに変えたいと思ったら
自分がこれで良いんだ。
と強く思えたことだ。

色々なことを言われたが、それは悪気がなく変わってて面白い。という意味も含まれていた。
男子校だからこそ、変人こそが至高という文化があったことに、後々気がつくことになった。

しかし、まだ壁があった。

私は人と関わることが大好きで、
多くの人と仲良くしたい。
でも、自分が変わってるから、多くの人に理解されない苦しさを強く感じることになった。
*テイカーとは、仲良くしないようにしています。

私は、私のことなんか誰も理解できないだろう。
理解できない奴らは、そんなもんなんだ。って下に見て境界線を切り分けた。
でも、友人Kと語り合っていく中で、揺るがない答えがでた。それが第二ステップだ。

第二ステップ
他人を理解することで、他人は私を理解しようとする。
全ては、他人を受け入れ理解することから始まると気づいたことだ。

社会人2年目で、気づいた。
店舗のマネージャーとして、変わった部下Mもいた。しかし、変わってる部下だったため、過去に迫害に近いことを受けて人に不信感を抱いていた。
私はどうにかしたいと思っていたが、私の気持ちも理解されず苦しんでいた。
そこで、部下Mを受け止め理解してあげると、歯車が噛み合ったかのように進んでいった。
私のことも理解してくれるようになって、
良好な人間関係が築けた。

そんなことが私にとって、重要な気づきだった。
自分を受け入れて、あるがままに自己表現する。
そして、変わった自分も変わった他者も受け止め理解することで愛の溢れた良好な人間関係を築く。
悪意のある人間には、関わらない。

総じて、どんな時でも誰もが
『これが自分なんだ!』
って、胸を張っていけることが美しいと思う。
そんな社会であって欲しい。

もしかすると、『自分勝手』という意味と同じでは?どう違うの?って考える人もいるかもしれない。

自己表現しつつ、お互いを尊重することが大切と言えば伝わるだろうか?

社会全体がこれが自分なんだ!って思えることで、相手に対しても『あれがあの人なんだ!』って思えることに繋がる。

そうすると、全ての人が自己表現する中で、
『あくまでも自分は自分。あの人はあの人』
っていう境界線を明確にしたうえで、
お互いの自己表現を成すためには、
お互いの自己表現を否定することなく受け入れて、
その上でどう進めるかを対話していけるだろう。
いや、そうしなければならない。

これからも、考え方・価値観・レザークラフト職人・絵画家など、様々な側面から自己表現をしていく。
自己表現を通して、人が喜んでくれたり、何かを感じてもらえると嬉しい。

これからも、

『好き』を大切にして、
あるがままに泥臭く、
そして美しく生きていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?